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凡 傷寒(しやうかん)の似より者二十四病あり六経(りくけい)の伝證(でんしやう)も太陽(たいやう)
陽明(やうめい)少陽(せうやう)太陰(たいいん)少陰(せういん)厥陰(けついん)の六経(りくけい)に渉(わた)るに伝本(でんほん)順経(じゆんけい)
越経(をつけい)誤下(ごげ)表裏(へうり)首尾(しゆび)の次第あり経病(けいびやう)府病(ぶびやう)併病(へいびやう)合病(がつびやう)
壊病(ゑびやう)の分別(ふんべつ)あり汗(あせ)するには早(はや)きをいとはず甚(はなはだ)はやき
ことなかれ下(くだ)すには遅(おそ)きをいとはず甚おそきことな
かれ桂枝(けいし)喉(のんど)にくだつて陽(やう)盛(さかん)なれば斃(たをれ)承気(じやうき)胃(い)に入て
陰(いん)盛(さかん)なれば亡(ほろぶ)とのいましめあり此ゆへに西晋(せいしん)以後 隋唐(ずいとう)
宋元明(そうげんみん)に至て仲景の立方を證(しやう)にして人(にん)々家(け)々
種(しゆ)々の変方(へんはう)を立て服(ふく)を小にし日数をのぶる事 医(い)
家の秘事(ひじ)なり明(みん)の王(わう)時勉(じべん)が常勲(じやうきん)の徐氏(ぢよし)が中気 不足(ふそく)の
症を療(りやう)ぜしときいへることあり不足虚分の症を補(おぎなふ)には
日 数(かず)を積(つむ)て治(ぢ)を緩(ゆる)くするにはしかじ家屋(かをく)を建(たつ)るが
ごとし不日 急速(きうそく)にはなるべからずといひて百日を限り
て治療(ぢりやう)するに十日ばかりにして何のしるしも見へざれ
ば徐氏(じよし)性急(しやうきう)にして医を更(かへ)て利気のくすりを用ひし
に甚(はなはだ)そむきければ立帰りて時勉(じべん)にあやまり乞(こふ)て終
に三 月(がつ)余にして本復平愈(ほんぶくへいゆ)せしとかや伝記(でんき)に此こと
ありて医の日数を経(へ)る證(しやう)とせり又 効(しるし)を急(いそい)で命(めい)を促(ちゞめ)
現代語訳
およそ傷寒に似た病気は二十四病あり、六経の伝承も太陽・陽明・少陽・太陰・少陰・厥陰の六経にわたるが、伝本・順経・越経・誤下・表裏・首尾の次第がある。経病・府病・併病・合病・壊病の分別がある。発汗させるには早すぎることを嫌わず、甚だ早すぎてはならない。下剤を用いるには遅すぎることを嫌わず、甚だ遅すぎてはならない。桂枝湯が喉を通って陽が盛んになれば倒れ、承気湯が胃に入って陰が盛んになれば死ぬという戒めがある。このゆえに西晋以後、隋唐・宋元明に至って仲景の処方を証として、人それぞれ家それぞれに種々の変方を立て、服用量を少なくし日数を延ばすことが医家の秘事である。
明の王時勉が常熟の徐氏の中気不足の症を治療した時のことである。不足虚損の症を補うには日数を積んで治療を緩やかにするに越したことはない。家屋を建てるようなもので、短期間で急速に治るべきものではないと言って百日を期限として治療することにした。十日ばかりで何の効果も見えなければ、徐氏は性急で医者を替えて利気の薬を用いたところ、甚だ悪化したので立ち返って時勉に謝り、頼んで終に三か月余りで本復平癒したという。伝記にこのことがあって、医者が日数を経る証拠とした。また効果を急いで命を縮める