翻刻
【右丁】
にしらせしごとく隅田川の竜神/無失(むしつ)の
罪(つみ)にしづみ其/科(とが)のがれがたき事あり
是(これ)竜神の飛行(ひきやう)自在(じざい)大小/変化(へんくわ)の妙
術(じゆつ)も死べき時節はまぬかれがたく去 ̄ル四月
五日の夜天人の五衰(ごすい)とて多(おほく)の天人/甍(いらか)
をならべ作り立たる家々の忽(たちまち)一時の灰塵(くわいじん)
となる其/砌(みきり)竜神も煙(けむり)に巻(まか)れ焼死(やけしん)で
其/尸(しかばね)世に残り竜の頭(あたま)と評判(ひやうばん)せしは焔王
の命(めい)にそむき路考が代(かは) ̄リに八重桐を連行(つれつき)
し水虎(かつぱ)が科のとばしり故に相/果(はて)し
【左丁】
隅田川の竜神の遺骨(ゆいこつ)也と思ふべし
竜神死ては程もなく汝が命/終(をは)るべきは
極(きはま)れる命数(めいすう)なりといふかと思へば忽にかき
消(けす)ごとく失(うせ)給ふ薪水はぼう然(ぜん)と元(もと)の
病の床の内夢ともなく現(うつゝ)とも思ひ掛(がけ)な
き教(おしえ)を請(うけ)心のまよひ晴行(はれゆけ)ば病の苦痛(くつう)
はなけれどもとても必死(ひつし)の症(しやう)なれば次第〱にをとろ
へて辞世(しせい)一句艶なるや我はめいどへ花あやめ
明和五ツ戌子(つちのへね)の歳五月四日の暁(あかつき)に終(つゐ)に空(むな)しく成にけり
戒名(かいめう)は妙果院(めうくわいん)薪水(しんすい)日成(につせい)と深川の浄心寺(じやうしんじ)に石(いし)の印(しるし)
現代語訳
【右丁】
に知らせたように、隅田川の竜神は無実の罪に沈み、その科(とが)から逃れがたいことがある。これは竜神の飛行自在、大小変化の妙術も、死ぬべき時節からは逃れがたく、去る四月五日の夜、天人の五衰といって多くの天人が甍を並べて作り立てた家々が、たちまち一時の灰塵となった。その折に竜神も煙に巻かれて焼死し、その屍が世に残り、竜の頭と評判されたのは、閻魔王の命に背き、路考の代わりに八重桐を連れて行った水虎(河童)の科のとばっちりゆえに、ついに果てた
【左丁】
隅田川の竜神の遺骨であると思うべきである。竜神が死んでからほどもなく、お前の命が終わるべきは決まっている命数なのだ」と言うかと思えば、たちまちかき消すように姿を消してしまった。薪水はぼんやりと元の病の床で、夢とも現実とも思いがけない教えを受け、心の迷いが晴れていけば、病の苦痛はないけれども、とても必死の症なので次第に衰えて、辞世の句を詠んだ。「艶なるや我は冥土へ花菖蒲」明和五年戊子の歳五月四日の暁に、ついに空しくなってしまった。戒名は妙果院薪水日成と、深川の浄心寺に石の印が