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コレクション: 漂流記コレクション

日本漂流譚 - 翻刻

日本漂流譚 - ページ 12

ページ: 12

翻刻

【右丁】 【版心の中央部:(十)】 さて、白洲(しらす)めきたる所(ところ)に入(い)れば、官人(くわんじん)数多(あまた)威儀(ゐぎ)つくろひ、一段(いちだん)高(たか)き所(ところ)に居(ゐ) 并(なら)びたるが、まづ彼(か)の三人のものを召出(めしいだ)し、種々(しゆ〴〵)詮議(せんぎ)あれども、漂客(こなた)には 言語(げんぎよ)通(つう)ぜざる故(ゆゑ)、如何(いか)に問(と)ひ如何(いか)に答(こた)ふるにや、一向(いつかう)に分(わか)らず。しばら くありて、官人(くわんじん)は漂客(こなた)に向(むか)ひ、仕方(しかた)にて種々(しゆ〴〵)のまねをなし尋(たつ)ぬる様子(やうす)を 見(み)れば、日本(にほん)の者(もの)ども、盗(ぬす)みに来(きた)り殺(ころ)されたるなりと合点(がてん)せらるゝ故(ゆゑ)、漂(へう) 客(かく)一同(いちどう)は憤慨(ふんか゚い)に堪(た)へず、種々(しゆ〴〵)の手真似(てまね)にて、少(すこ)しも盗(ぬすみ)をなせる者(もの)にあら ず、大風(たいふう)に漂流(へうりう)されたる者(もの)なることを示(しめ)せるに、よく通(つう)じたりと見え、又 仕(し) 形(かだ)にて、如何(いか)にもその通(とう)りなるべしと示(しめ)したり。此(これ)にて、詮議(せんぎ)の次第(しだい)も 済(す)みしにや、官人(くわんじん)一同(いちどう)何(なに)やらんしばし相語(あひかた)らひしに、やがて三人の者(もの)ど もを引出(ひきいた)し、裸体(はだか)になしてうつむきにねさせ、竹(たけ)の筈(むち)【笞ヵ】のいかにも太(ふと)くた くましきを以(もつ)て、彼等(かれら)が尻(しり)と腰(こし)とを、数(かず)五十づゝしたゝかにたゝきけれ ば、肉(にく)破(やぶ)れ血(ち)流(なが)れて、呌喚(けうくわん)【叫喚ヵ】の声(こゑ)喧(かまびす)しく、無惨(むざん)の有様(ありさま)見聞(みき)くに堪(た)へぬばかり 【左丁】 【版心の中央部:(十一)】 なりけり。其後(そののち)、漂客(へうかく)は、いと懇(ねんごろ)のとりあつかひをうけ、衣服(いふく)飲食(いんしよく)、すべて 官(くわん)の賄(まかなひ)にて、二十日(はつか)余(あま)りの日数(ひかす)をば、心安(こヽろやす)くぞ過(すご)しける。  さて是(これ)より少(すこ)しく此地(このち)の模様(もやう)を記(しる)さんに、此都(このみやこ)は我邦(わがくに)の道程(みちのり)にて、二 里(り)四 方(はう)もあるべく、其 中(うち)に王城(わうじやう)あり。城(しろ)は我邦(わがくに)大名(だいめう)の城郭(じやうくわく)より麤(まばら)の建(けん) 築(ちく)にて、すみ〴〵に櫓(やぐら)などあり。城下(じやうか)は屋形作(やかたづく)り町家(ちやうか)ひしと立(た)ち并(なら)び たるが、其(そ)の家(いへ)の有様(ありさま)は、我邦(わがくに)の寺院(じゐん)などの如く、いかにも大(おほい)なる作(つく)りに て、柱(はしら)は《振り仮名:丸|まゐ【る】》く、瓦(かはら)は薬(くすり)をかけて、大方(おほかた)五色(ごしき)に彩(いろど)れり。市街(しがい)道路(だうろ)のさまは、さ まで美々(びヽ)しからざるも、まづ清潔(せいけつ)と謂(い)ふべき方(はう)なり。又 家々(いへ〳〵)の内(うち)は、皆 切石(きりいし)をしきて、板敷(いたじき)とては更(さら)になし。  韃靼王(だつたんわう)の名(な)は、チヤウテン(─────────)とて、其の時(とき)八 歳(さい)のよし。又 キウアンス(─────────)、ハ(──) トロンス(───────)、シイメンス(─────────)、ホウセンス(────────)などは、大臣(だいじん)の名(な)なるよし、後(のち)に聞(き)き及(およ) びし所(ところ)なり。 【二十二行十八字目「作」のルビ「づ」の濁点は半濁点にも見える】

現代語訳

【右丁】 さて、白洲のような場所に入ると、官人が多数威儀を整えて、一段高い場所に居並んでいたが、まずあの三人の者を呼び出し、様々に詮議したものの、漂流者たちには言葉が通じないため、何を問い何と答えているのやら、まったくわからない。しばらくして、官人は漂流者たちに向かい、身振り手振りで様々な真似をして尋ねる様子を見ると、日本の者どもが盗みに来て殺されたのだと思われているらしい。そこで漂流者一同は憤慨に堪えず、様々な手振りで、まったく盗みをした者などではなく、大風に漂流された者であることを示したところ、よく伝わったと見え、また身振りで、いかにもその通りであるだろうと示した。これによって詮議の次第も済んだのか、官人一同が何やらしばし話し合ったのち、やがてあの三人の者どもを引き出し、裸にして俯せに寝かせ、竹の笞のいかにも太くたくましいものをもって、彼らの尻と腰を、五十回ずつたっぷりと叩いたところ、肉が破れ血が流れて、叫喚の声が喧しく、無惨な有様は見聞きするに堪えないほどで 【左丁】 あった。その後、漂流者たちは、たいへん丁寧な扱いを受け、衣服や飲食など、すべて官の賄いで、二十日余りの日数を、気楽に過ごした。  さて、ここから少しこの地の模様を記すと、この都は我が国の道程で二里四方ほどもあり、その中に王城がある。城は我が国の大名の城郭よりも粗末な造りで、隅々に櫓などがある。城下は屋形造りの町家がびっしりと立ち並んでいるが、その家の様子は、我が国の寺院などのように、いかにも大きな造りで、柱は丸く、瓦には釉薬をかけて、大方五色に彩られている。市街の道路の様子は、さほど美々しくはないが、まずは清潔と言うべき方である。また家々の内は、皆切り石を敷いて、板敷きというものはまったくない。  韃靼王の名はチャウテンといい、その時八歳とのこと。またキウアンス、ハトロンス、シイメンス、ホウセンスなどは大臣の名であるとのこと、後に聞き及んだところである。

英語訳

【Right Page】  Upon being led into what resembled a courtroom, they found a great number of officials seated in solemn array upon a dais raised above the floor. First, those three men from the village were summoned forward and subjected to various interrogations; but as the castaways could not understand the language at all, they had no idea what was being asked or answered. After a time, the officials turned toward the castaways and, using gestures and mimicry of various kinds, appeared to be making inquiries. From the manner of it, the castaways gathered that they were being suspected of having come to commit robbery and having killed someone. Unable to contain their indignation, the castaways collectively gestured in every way they could to make clear that they were not thieves of any kind, but rather people who had been cast adrift by a great storm. This seemed to get through well enough, and the officials gestured in return to indicate that yes, this was indeed likely the case. Whether the proceedings were thereby concluded, the officials all conferred among themselves for a while, and presently the three village men were dragged out, stripped bare, and made to lie face down, whereupon they were each struck fifty firm blows upon their buttocks and lower backs with thick, stout bamboo rods. The flesh broke open and blood flowed, and their cries of agony rang out loudly — a sight and sound so wretched as to be well-nigh unbearable. 【Left Page】  After this, the castaways were treated with great consideration, with clothing and food and all else provided at official expense, and they passed more than twenty days in ease and comfort.  Here let us set down a few notes on the character of this place. The capital was perhaps two ri in every direction by Japanese measure, and within it stood the royal castle. The castle was a somewhat plainer construction than the fortresses of Japanese feudal lords, with watchtowers at the corners. In the castle town, mansion-style townhouses stood packed closely together in rows. The houses were built on a grand scale, much like temples in Japan, with round pillars, and their roof tiles were glazed and for the most part colored in five hues. The streets and roads of the city were not particularly splendid, but could fairly be called clean. Inside the houses, cut stone was laid throughout the floors, and there was not a single plank floor to be found anywhere.  The name of the Tartar king was Chaoten, who was at that time eight years of age. The names Kiuansu, Hatoronsu, Shiimensu, and Housensu were those of ministers — or so they later came to hear.