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コレクション: 漂流記コレクション

日本漂流譚 - 翻刻

日本漂流譚 - ページ 125

ページ: 125

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【右丁】 仕(つかまつ)り罷在(まかりあり)、其 後(ご)大(おほ)き成(なる)材木(ざいもく)の流(なが)れ付(つき)候 義(ぎ)有_レ之候 間(あいだ)、取上(とりあ)げ候て、夫(それ)を釘(くぎ)を 以(もつ)て掘(ほ)りて桶(をけ)の如(ごと)くになし、是(これ)へも雨水(あまみづ)を溜(ため)囲(かこ)ひ置(おき)呑水(のみみづ)に仕候。然(しか)る 処(ところ)翌年(よくねん)秋(あき)の末(すゑ)とも存(ぞん)ぜられ候 比(ころ)、何国(いづく)の舟(ふね)とも不_二相知_一乗捨船(のりすてぶね)一 艘(さう)、浪風(なみかぜ) つよきゆへか流(なが)れ付(つき)て磯辺(いそべ)の岩(いは)へ打付(うちつけ)、忽(たちまち)に破船(はせん)仕候を見付(みつけ)候ゆへ、近(ぢか) 々(ぢか)と立寄(たちより)見(み)候へば、岩(いは)の間(ま)に米(こめ)打寄(うちよせ)有_レ之候に付(つき)、手(て)に及(およ)び候 丈(だ)け六十 俵(ぺう) 程(ほど)も取上(とりあ)けおき、住居(ぢゆうきよ)仕 居(を)り候 右(みぎ)二(ふた)ツの穴(あな)へ持運(もちはこ)び候 内(うち)に、又々 波(なみ)強(つよ)く 罷成(まかりなり)候て、取集(とりあつ)め置(おき)候 俵(たわら)を沖(おき)の方(かた)へ引出(ひきいだ)し、漸々(やう〳〵)二三十 俵(へう)も取上(とりあ)げ申候。 此米を以(もツ)て亦々(また〳〵)当分(とうぶん)取締(とりしま)り存命(ぞんめい)仕候。夫(それ)もたべきり候に付(つき)、又々(また〳〵)魚鳥(うをとり) 磯草(いそくさ)にて助命(じよめい)仕 罷在(まかりあり)候。右 乗捨舟(のりすてぶね)より取揚(とりあげ)候米より外(ほか)には、切(き)れ候 木(も) 綿帆(めんほ)の類(るゐ)、或は舟板(ふないた)等(とう)おり〳〵流(なが)れ寄(より)申候。右(みぎ)の類(るゐ)も取(とり)あげ夫々(それ〳〵)にい たし相用(あひもち)ひ申候。此外(このほか)に廿 年余(ねんよ)在島中(ざいとうちう)海上(かいじやう)を乗通(のりとほ)り候 廻船(くわいせん)見当(みあた)り候 義(ぎ)も有(あり)_レ之 哉(や)と御尋(おたづね)御座(ござ)候へ共、右 御答(おこたへ)申上候 通(とほ)り、乗捨舟(のりすてぶね)の外(ほか)に流(なが)れ付(つき) 【左丁】 候事 一切(いツせつ)御座(ござ)なく候。 一、右(みぎ)取上(とりあ)ゲ申候 米(こめ)を干(ほ)し立(たて)可_レ申 処(ところ)も無(なく)_レ之候ゆへ、俵(たわら)のまゝにて穴(あな)の 内(うち)に積立(つみたて)囲(かこ)ひ置(おき)候。然(しか)る処(ところ)右(みぎ)の内(うち)に籾米(もみごめ)一俵(いツへう)有(あり)_レ之候得共、一向(いツかう)存付(ぞんじつき)不 _レ申候ひしが、翌春(よくはる)と覚(おぼ)しき比(ころ)余程(よほど)暖(あたヽ)かになり候 処(ところ)、右 籾俵(もみたわら)もへ候て芽出(めだ) し候に付、見(み)申候 処(ところ)もみ米(ごめ)にて御座(ござ)候間、已前(いぜん)取上(とりあ)げ置(おき)候 船板(ふないた)の釘(くぎ)抜置(ぬきおき) 候をとび口(ぐち)の様(やう)にこしらへ鍬(くわ)の代(かは)りに仕(つかまつ)り、《振り仮名:岩|いば【はヵ】》の間(あひだ)にかや茂(しげ)り候 処(ところ)に 《振り仮名:土気|つぢ【ちヵ】け》一坪(ひとつぼ)二坪(ふたつぼ)ヅヽ有_レ之候 所(ところ)を、右 大釘(おほくぎ)のとび口(ぐち)にて掘穿(ほりうが)ち、芽出(めだ)し候 籾(もみ) をまき附置(つけおき)、魚鳥(うをとり)のわた亦(また)はあらひ水(みづ)など養(やしな)ひにかけ候て見(み)申候へば、 少(すこ)しづゝ実(み)のり申(まをし)候ゆへ、年々(ねん〳〵)春(はる)と覚(おぼ)しき頃(ころ)暖(あたヽか)に成(な)り候せつ、その種(たね)を 以(もツ)て蒔付(まきつけ)候 処(ところ)、壱ケ年(ねん)にもみ米(ごめ)三四 斗(と)程(ほど)ヅヽも可_レ有_レ之候 哉(や)に覚(おぼ)へ申候。 斯(かく)て毎年(まいねん)に取入(とりいれ)申候 得(え)ども、是(これ)は平生(へいぜい)は決(けツ)してたべ不_レ申、病人(びやうにん)等(とう)有_レ之候 節(せつ)の手当(てあて)に仕(つかまつ)り、其 節(せつ)は右(みぎ)の籾米(もみごめ)を《振り仮名:少〻宛|せう〳〵つヾ》粥(かゆ)に焚(た)き候て、薬(くすり)の代(かは)りに相(あひ) 【二十一行五字目、二十二行二十字目「口」のルビ「ぐ」は「く゚」にも見える】

現代語訳

【右丁】 いたして過ごしておりました。その後、大きな材木が流れ付くことがありましたので、それを取り上げて、釘で掘って桶のようにし、これにも雨水を溜めて囲い置き、飲み水にいたしました。 ところが翌年の秋の末と思われる頃、どこの国の船とも分からない乗り捨て船一艘が、波風が強いためか流れ付いて磯辺の岩に打ち付けられ、たちまち破船するのを見つけたので、近くに立ち寄って見ると、岩の間に米が打ち寄せられているので、手の届く限り六十俵ほども取り上げ、住居している右の二つの穴へ運んでいる間に、また波が強くなって、取り集めて置いた俵を沖の方へ引き出してしまい、やっと二三十俵も取り上げることができました。 この米をもってまた当分の間命を繋いでおりました。それも食べ尽くしたので、また魚や鳥、磯草で命を繋いでおりました。右の乗り捨て船から取り上げた米の他には、切れた木綿帆の類や、或いは船板等が時々流れ寄せてきました。右の類も取り上げ、それぞれに利用いたしました。この外に二十年余りの在島中、海上を航行する廻船が見当たることもありましたかとお尋ねがございましたが、右でお答え申し上げた通り、乗り捨て船の外に流れ付い 【左丁】 たことは一切ございませんでした。 一、右で取り上げた米を干し立てる場所もなかったので、俵のままで穴の内に積み立てて囲い置きました。ところが右の内に籾米一俵があったのですが、全く気付きませんでしたが、翌春と覚しき頃、よほど暖かになった時、右の籾俵が萌えて芽を出したので、見てみると籾米でございましたので、以前取り上げて置いた船板の釘を抜いて置いたのを、とび口のように作って鍬の代わりにし、岩の間に茅が茂っている所に土気が一坪二坪ずつある所を、右の大釘のとび口で掘り穿ち、芽を出した籾を蒔き付けて置き、魚や鳥の内臓またはその洗い水などを肥料にかけて見ると、少しずつ実って参りましたので、年々春と覚しき頃暖かになる節に、その種をもって蒔き付けたところ、一ヶ年に籾米三四斗ほどずつも取れるように思われました。 このように毎年取り入れましたけれども、これは平常は決して食べず、病人等がある節の手当てにし、その節は右の籾米を少しずつ粥に炊いて、薬の代わりに 【左丁】

英語訳

【Right page】 We continued to survive in this way. Later, large pieces of timber would drift ashore, so we would retrieve them and hollow them out with nails to make them like buckets, and in these too we would collect and store rainwater for drinking water. Then, around what seemed to be late autumn of the following year, an abandoned ship of unknown nationality drifted near due to strong winds and waves, crashed against the rocks at the shore, and immediately broke apart. When we found this and went close to look, we saw rice scattered among the rocks, so we gathered up about sixty bales that we could reach and were carrying them to our dwelling caves when the waves became strong again and pulled the bales we had collected back toward the open sea. We managed to retrieve only twenty or thirty bales. With this rice we sustained ourselves for some time. When that too was consumed, we again survived on fish, birds, and seaweed. Besides the rice retrieved from that abandoned ship, torn cotton sails and ship planks would occasionally drift ashore. We also collected these items and put them to various uses. When asked whether during our twenty-plus years on the island we had seen any trading ships passing on the sea, as I answered above, nothing drifted ashore except for that abandoned ship. 【Left page】 There were no other incidents at all. Regarding the rice we had retrieved, since there was no place to dry it, we stacked the bales as they were inside the caves and stored them there. However, among them was one bale of unhulled rice, though we were completely unaware of this. Around what seemed to be the following spring, when it became quite warm, that bale of rice hulls sprouted and began to grow shoots. When we examined it, we found it was unhulled rice, so we took nails we had previously extracted from ship planks and fashioned them into crowbar-like tools to use as hoes. In places between the rocks where miscanthus grew thickly, where there were patches of soil one or two tsubo in area, we dug holes with these large nail tools and planted the sprouted rice hulls. We used fish and bird entrails or the water from washing them as fertilizer, and found that they gradually bore fruit. So each year when it became warm in what seemed like spring, we would plant seeds, and it appeared we could harvest about three or four to of unhulled rice per year. Thus we harvested every year, but we never ate this rice in normal times, saving it instead to treat the sick. When needed, we would cook small amounts of the unhulled rice into gruel and use it as medicine.