翻刻!九州大学の書物たち

コレクション: 漂流記コレクション

日本漂流譚 - 翻刻

日本漂流譚 - ページ 129

ページ: 129

翻刻

【右丁】 ひ候へば能(よ)く火(ひ)移(うつ)り申候。二三 年(ねん)も過(す)ぎ候て、かま石(いし)絶(た)へ申候て、まき は沢山(さくさん)御座(ござ)候 間(あひだ)、随分(ずいぶん)と昼夜(ちうや)ともに火(ひ)をいけ置(おき)申候。其 内(うち)も折々(をり〳〵)火(ひ)の 消(きえ)候 時(とき)には、島山(しまやま)の上(うへ)煙(けふ)り立(たち)候 処(ところ)迄(まで)二三 町(ちやう)も登(のぼ)り候て、平生(へいぜい)火(ひ)の燃(も)へ申 候処 御座(ござ)候ゆへ、其処(そこ)へかやおぎの様(やう)なる物(もの)を松明(たいまつ)のやうにこしらへ 持参(もちまゐ)り候て、夫(それ)より火(ひ)を移(うつ)し参(まゐ)り申候。先は随分(ずゐぶん)と火(ひ)の消(きえ)申さず候 様(やう) に心(こヽろ)を付(つけ)火(ひ)をいけ置(おき)申候。雨(あめ)抔(など)降(ふ)り候 節(せつ)、火(ひ)湿(しめ)り候て消(き)へ候へば、殊(こと)の 《振り仮名:外|ぼ【ほ】か》その時分(じぶん)には迷(めい)わく仕り候。   鍋釜(なべかま)の類(るゐ)、二拾年 余(よ)はたもち申 間敷(まじき)処(ところ)右(みぎ)の義(ぎ)如何(いかヾ)仕(つかまつ)り候やとの御(お)   尋(たづね)。 一、鍋釜(なべかま)の儀(ぎ)は、右(みぎ)島(しま)へ漂着(へうちやく)の節(せつ)小船(こぶね)へ積(つ)み上(あげ)候と申 儀(ぎ)聢(しか)とは覚(おぼ)へ不 _レ申 処(ところ)、鍋(なべ)弐(ふた)ツ釜(かま)壱ツ御座(ござ)候。定(さだ)めて持上(もちあげ)り候 事(こと)と奉_レ存候。然処(しかるところ)二十 年(ねん) 余(よ)保(たも)ち申候。右申上候 通(とほ)り彼(か)の大鳥(おほとり)を第一の夫食(ぶじき)に仕(つかまつ)り候 間(あひだ)、右(みぎ)の油(あぶら) 【左丁】 にて鍋釜(なべかま)保(たも)ち申候やと奉_レ存(ぞんじ)候。此度(このたび)右(みぎ)の島(しま)出船(しゆツせん)の時(とき)も、右 鍋釜(なべかま)を船(ふね)へ 入(いれ)八 丈島(じやうじま)まで持参(ぢさん)仕(つかまつ)り候。   右(みぎ)島(しま)へ漂着(へうちやく)の節(せつ)拾弐人の処(ところ)、三人 存命(ぞんめい)、跡(あと)九人のもの其 砌(みぎり)病死(べうし)にて   も仕(つかまつ)り候やと御尋(おたづね)。 一、船頭(せんどう)水主(かこ)便船人(びんせんにん)とも都合(つがふ)拾弐人の内(うち)、船頭(せんどう)左太夫(さだゆう)、水主(かこ)吉三郎、喜(き)三 郎、八 太夫(だゆう)、善五郎(ぜんごらう)、善(ぜん)左衛門、江戸(えど)にて相雇(あひやと)ひ申候 増水主(ましかこ)両人善太郎、八兵 衛、南部(なんぶ)より武州(ぶしう)神奈川(かながは)迄(まで)の積(つも)りにて《振り仮名:便船|ぴ【び】んせん》仕(つかまつ)り候 権次郎(ごんじらう)、右九人の内六 人は遠洲(ゑんしう)荒井(あらゐ)の出生(しゅツしやう)、二人は武蔵(むさし)の生(むま)れ、一人は伊豆(いづ)の岩地村(いはちむら)のものゝ よしにて御座(ござ)候。右(みぎ)のもの共(ども)義(ぎ)も島(しま)漂着(へうちやく)以来(いらい)三ケ年 程(ほど)は、十二人 共(とも)に 残(のこ)らず存命(ぞんめい)に罷在(まかりあり)、其 後(ご)十ケ 年(ねん)程(ほど)の内(うち)段々(だん〴〵)と相果(あひはて)申候。尤(もツと)も年月(としつき)等(とう)は 一向(いツかう)相知(あひしれ)不_レ申候に付 覚(おぼ)へ不_レ申候。《振り仮名:相果|あひば【は】て》候 病症(べうしやう)の義(ぎ)は、老体(らふたい)のやうに自(し) 然(ぜん)と衰(おとろ)へ、又は食物(しよくもつ)よろしからずゆへ身体(しんたい)腫(は)れ候て相果(あひはて)申候。

現代語訳

【右丁】 使えばよく火が移ります。二三年も過ぎて、鎌と石が尽きてしまった後は、薪は沢山ありますので、随分と昼夜ともに火を絶やさないようにしております。それでも時々火が消えてしまう時には、島の山の上で煙が立っている所まで二三町も登って行きます。普段から火が燃えている場所がございますので、そこへ萱荻のような物を松明のように作って持参し、それで火を移して帰って来ます。とにかく随分と火が消えないように心を配って火を絶やさないようにしております。雨などが降る時、火が湿って消えてしまえば、とりわけその時分には困ってしまいます。 鍋釜の類は、二十年余りも保つはずがないのに、右の件はどのようにしているのかとのお尋ね。 一、鍋釜の件は、右の島へ漂着の際に小船へ積み上げたと申すことははっきりとは覚えておりませんが、鍋二つ釜一つがございます。きっと持ち上げたことと思います。しかし二十年余り保っております。前に申し上げた通りあの大鳥を第一の食物としておりますので、右の油 【左丁】 で鍋釜を保っているのだと思います。この度右の島を出船する時も、右の鍋釜を船へ入れて八丈島まで持参いたしました。 右の島へ漂着の際十二人のところ、三人が生存、残り九人の者はその時病死などしたのかとのお尋ね。 一、船頭、水主、便船人とも都合十二人の内、船頭左太夫、水主吉三郎、喜三郎、八太夫、善五郎、善左衛門、江戸にて相雇いした増水主両人善太郎、八兵衛、南部より武州神奈川までの積もりで便船いたした権次郎、右九人の内六人は遠州荒井の出身、二人は武蔵生まれ、一人は伊豆の岩地村の者とのことでございます。右の者共も島漂着以来三ヶ年程は、十二人ともに残らず生存しており、その後十ヶ年程の内に段々と亡くなりました。もっとも年月等は一向分かりませんので覚えておりません。亡くなった病症の件は、老体のように自然と衰え、また食物がよろしくないため身体が腫れて亡くなりました。

英語訳

【Right page】 it works well for transferring fire. After two or three years passed and the sickle and stone were exhausted, since there is plenty of firewood, we take great care to keep fires burning both day and night. Even so, when the fire occasionally goes out, we climb two or three chō up to where smoke rises from the island mountaintop. Since there is a place where fire naturally burns, we make torch-like objects from reed-like materials, bring them there, transfer fire from that source, and return. In any case, we take great care to prevent the fire from going out day and night. When it rains and the fire becomes damp and goes out, we are particularly troubled during such times. Inquiry: Regarding pots and kettles - these should not last over twenty years, so how do you manage this matter? One: Regarding the pots and kettles, I do not clearly remember loading them onto the small boat when we drifted to the island, but we have two pots and one kettle. We must have brought them up. However, they have lasted over twenty years. As I mentioned before, we use those large birds as our primary food, so with their oil 【Left page】 we preserve the pots and kettles, I believe. When we departed from the island this time as well, we put those pots and kettles in the boat and brought them to Hachijōjima. Inquiry: When you drifted to the island, there were twelve people, but three survived - did the other nine die of illness at that time? One: Among the total of twelve people including the captain, sailors, and passenger - captain Sadayū, sailors Kisaburō, Kisaburō, Hachidayū, Zengorō, Zenzaemon, two additional sailors hired in Edo named Zentarō and Hachibe, and Gonjirō who took passage from Nanbu to Kanagawa in Bushū - of these nine people, six were from Arai in Enshū, two were born in Musashi, and one was from Iwachi village in Izu. All twelve of us remained alive for about three years after drifting to the island, then gradually died over the following ten years or so. However, since we have no way of knowing the exact dates, I do not remember them. Regarding the illnesses that caused their deaths, they naturally weakened as if from old age, and also their bodies swelled from poor food, leading to their deaths.