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コレクション: 漂流記コレクション

日本漂流譚 - 翻刻

日本漂流譚 - ページ 15

ページ: 15

翻刻

【右丁】 【版心の中央部:(十六)】 五つ並(なら)べてかけ、其 橋柱(はしばしら)のゆき、桁(けた)、蹈板(ふみいた)、《振り仮名:欄干|う【ら】んかん》、何(いづ)れも石造(せきざう)にて、欄干(らんかん)には竜(りよ)【注】 の彫(ほ)り付(つ)けあり。五 橋(きやう)を並(なら)べかくるは何故(なにゆゑ)ぞといふに、正月其 外(ほか)礼日(れいじつ) の時(とき)、甚(はなは)たしく《振り仮名:雑𨓬|ざツとう》するがためにして、尤(もつと)も其 中(うち)の一 橋(きやう)は、国王(こくわう)行幸(ぎやうかう)の時 に渡(わた)るなりといへり。六 里(り)四 方(はう)の中(うち)、屋形作(やかたづく)り町家(ちやうか)すきまもなく立(たて)つ らね、ほヾ韃靼(だツたん)の国都(こくと)に同(おな)じけれども、其(そ)の繁華(はんくわ)の様(さま)は、遥(はる)かに優(すぐ)れたり と覚(おぼ)えたり。  両国共、夏(なつ)の気候(きこう)は日本に同(おな)じく、冬は日本の一 倍(ばい)も寒(さむ)く、韃靼(だつたん)は雪(ゆき)ふ り、北京(ぺきん)は寒中(かんちう)のみ少(すこ)しくふることをきけども、両国人とも、寒(さむ)さには甚(はなは)た しくいたまざる様(さま)なり。今(いま)は、北京(ぺきん)も韃靼王(だつたんわう)に征服(せいふく)されたるものゝよ しにて、北京人(ぺきんじん)も、頭(かしら)の毛(け)を剃(そ)ること韃靻【靼ヵ】人に同(おな)じくし、衣類(いるゐ)は、肌着(はだぎ)を一(ひと)つ 着(き)て、其 上(うへ)に薄(うす)く綿(わた)の入(い)りたるを一(ひと)つ着(ぎ)、上着(うはき)には、毛(け)の皮(かは)の毛(け)の方(かた)を裏(うら) にして、表(をもて)には紗綾(さあや)、緞子(どんす)、繻珍(しゆちん)等(とう)にて立派(りツぱ)に作(つく)りし着物(きもの)を用(もち)ひ、大名はト 【左丁】 【版心の中央部:(十七)】 ンヒといふ皮(かは)を着(き)たり。此 皮(かは)は、毛(け)の色(いろ)鼠(ねずみ)にて、殊(こと)の外(ほか)和(やわ)らかなり。最(もツと) も貴重(きちやう)のものにして、着物(きもの)一 枚(まい)に銀(ぎん)二三 貫目(ぐわんめ)ほどを要(えう)する由(よし)なれば、多(おほ) くは羊(ひつじ)狐(きつね)其 他(た)の毛皮(けがは)を用(もち)ひぬ。羽織(はおり)も右(みぎ)の如(ごと)く毛皮(けがは)にて仕立(した)て、表(おもて)は 何(なに)にても用(もち)ひたる《振り仮名:袖|そこ【て】》なしなり。此方(こなた)の者(もの)にも、斯(かヽ)る衣服(いふく)を《振り仮名:賜|お【た】ま》はりたれ ば、着用(ちやくよう)せしに、殊(こと)の外(ほか)暖(あたヽ)かなりき。  さて此地(このち)の料理(れうり)の方(はう)は、魚(うを)、鳥(とり)、牛、羊(ひつじ)、豚(ぶた)、其(そ)の外(ほか)獣肉(じうにく)をは水にて煮(に)、醤油(しやうゆ)、塩(しほ) をさし汁(しる)になし、さいは水煮(みつに)となし、醤油(しやうゆ)を付(つけ)て食(くら)ふことなり。味噌(みそ)にて 煮(に)ることもあれども、其 味(あぢ)日本(にほん)とは甚(はなは)だ異(ことな)り。《振り仮名:韃靼|だツだ【たヵ】ん》の味噌(みそ)は粟(あは)にて製(せい)し、 北京(ぺきん)にては米(こめ)粟(あは)にて作(つく)るよしなり。北京(ぺきん)は海辺(かいへん)まで五六日 路(ぢ)もある よしにて、海鮮(かいせん)少(すこ)しもなく、鯉(こい)鮒(ふな)其 外(ほか)川魚(かはうを)のみなり。米(こめ)は白米(はくまい)にて売買(ばい〳〵) し、滞留中(たいりうちう)の相場(さうば)は、銀(ぎん)一 匁(もんめ)に白米一 升(しやう)なり。近来(きんらい)戦乱(せんらん)の後(のち)にて高価(かうか)な りと、其(そ)の地(ち)の人は語(かた)りき。 【注 「竜」のルビ「りよ」は「りう」ヵ「りよう」ヵ】 【文中のカタカナ「ツ」は促音を表していると思われ、そのまま翻刻した。なお、「韃靼」のルビは「ツ」と「つ」が混在している。】

現代語訳

【右丁】 五つ並べて架け、その橋柱の行き、桁、踏板、欄干、いずれも石造りで、欄干には竜の彫り付けがある。五つの橋を並べて架けるのはなぜかというと、正月その他の礼日の時、非常に雑踏するためで、もっともその中の一つの橋は、国王行幸の時に渡るものだと言われている。六里四方の中、屋形造りの町家が隙間もなく立て並び、ほぼ韃靼の国都に同じであるが、その繁華の様子は、はるかに優れていると思われた。 両国とも、夏の気候は日本に同じく、冬は日本の一倍も寒く、韃靼は雪が降り、北京は寒中のみ少し降ることを聞くが、両国人とも、寒さには非常に苦しまない様子である。今は、北京も韃靼王に征服されたもののようで、北京人も、頭の毛を剃ることは韃靼人に同じくし、衣類は、肌着を一つ着て、その上に薄く綿の入ったものを一つ着、上着には、毛皮の毛の方を裏にして、表には紗綾、緞子、繻珍等で立派に作った着物を用い、大名はト 【左丁】 ンヒという皮を着た。この皮は、毛の色が鼠色で、殊の外やわらかである。最も貴重なもので、着物一枚に銀二三貫目ほどを要するということなので、多くは羊、狐その他の毛皮を用いる。羽織も右のように毛皮で仕立て、表は何でも用いた袖なしである。こちらの者にも、このような衣服を賜ったので、着用したところ、殊の外暖かであった。 さてこの地の料理の方は、魚、鳥、牛、羊、豚、その他獣肉を水で煮、醤油、塩をさして汁にし、菜は水煮にして、醤油を付けて食べることである。味噌で煮ることもあるが、その味は日本とは非常に異なる。韃靼の味噌は粟で製し、北京では米と粟で作るということである。北京は海辺まで五六日の道のりもあるということで、海鮮は全くなく、鯉、鮒その他川魚のみである。米は白米で売買し、滞留中の相場は、銀一匁に白米一升である。近来戦乱の後で高価であると、その地の人は語った。

英語訳

【Right Page】 Five bridges were built side by side, with the bridge pillars, beams, floorboards, and railings all made of stone, and dragon carvings attached to the railings. The reason for building five bridges side by side was that during New Year and other ceremonial days, there would be tremendous congestion. It was said that one of the bridges was specifically for the king's imperial processions. Within the six ri square area, mansion-style townhouses stood without gaps, much like the capital of Tartary, but the prosperous appearance seemed far superior. In both countries, the summer climate was the same as Japan's, but winter was twice as cold as Japan. In Tartary it snowed, and in Beijing they heard it snowed only a little during the coldest period, but people of both countries seemed not to suffer greatly from the cold. Now, Beijing too appeared to have been conquered by the Tartar king, and Beijing people also shaved their head hair in the same manner as the Tartars. For clothing, they wore one undergarment, then over that one thin cotton-padded garment, and for outer wear, they used fur with the hair side turned inward, with the outside made splendidly of silk gauze, satin, shuuchin and such fabrics. The daimyo wore To- 【Left Page】 nhi fur. This fur had a mouse-colored hair and was extremely soft. Being most precious, one garment required about two to three kan of silver, so most people used sheep, fox, and other furs. Haori jackets were also tailored from fur as described above, with sleeveless outer garments made of any material. When they were granted such clothing and wore it, it was extremely warm. Now, regarding the cuisine of this region: fish, birds, cattle, sheep, pigs, and other beast meat were boiled in water with soy sauce and salt added to make soup, vegetables were boiled in water and eaten with soy sauce. Sometimes they cooked with miso, but the taste was very different from Japan's. Tartar miso was made from millet, while in Beijing it was made from rice and millet. Beijing was said to be five to six days' journey from the coast, so there was no seafood at all, only river fish like carp and crucian carp. Rice was bought and sold as white rice, and during their stay, the market price was one sho of white rice for one monme of silver. The local people said it was expensive due to recent post-war conditions.