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ヽ右丁】
此地(このち)に来(きた)りたるを見た
り。
そも〳〵漂客(へうかく)の、魯国(ロこく)
に漂泊(へうはく)すること前後(ぜんご)十
数年(すうねん)に亘(わた)り、其 間(あひだ)、死(しj)を決(けつ)
したること亦(また)少(すく)なからざ
れとも、最(もツと)も恐(おそ)れを抱(いだ)き
たるは、此地方(このちはう)の酷寒(ごくかん)に
如(し)くはなし。凡(およ)そ此(こ)の
国(くに)にて、冬間(とうかん)外出(ぐわいしゆつ)するに
顔(かほ)をつゝみ、目(め)のみ現(あらは)し
【下絵図の説明文】
夜光塚(ヤコーツカ)まて
の道中(だうちう)支度(したく)
の図(づ)。
袋の(ふくろ)の如(ごと)き皮(かは)
衣(ごりも)より頭(かしら)を
出(いだ)し、目(め)ば
かり出(いだ)す被(かぶり)
物(もの)を被(かぶ)り、
手袋(てぶくろ)をはめ
足(あし)を包(つヽ)み、
皮靴(くつ)をはき
防寒(ばうかん)の用意(ようい)
厳重(げんじゆう)なり。
【左丁】
て歩行(ほこう)するにて、若(も)し引(ひ)き合(あは)せの間隙(すきま)より、耳鼻(みゝはな)など露(あら)はるゝときは、凍(こほ)
りて石(いし)の如(ごと)くなり、家(いへ)に入(い)りあたゝまるに従(したが)ひ、忽(たちま)ち解(と)け落(おち)ること常(つね)なり。
時々(とき〴〵)頬(ほう)さきのえぐりたる如(ごと)く解(と)け落(お)ちたる者(もの)をも見(み)たるが、皆(みな)此(この)寒傷(かんしやう)
の致(いた)す所(ところ)にて、土人(どじん)も此害(このがい)は免(まぬか)るべからざるなり。それのみならず、き
びしき寒気(かんき)に逢(あ)ふときは、手足(てあし)も脱落(だつらく)することにて、現(げん)に庄蔵(しやうざう)といふもの
の如(ごと)きは、此(これ)がため大に悩(なや)まされたるに、此地(このち)の医師(いし)は鋸(のこぎり)にて両足(りやうあし)の膝(ひざ)
節(ふし)よりひき切(き)り、焼酎(せうしゆ)にひたしたる木綿(もめん)にて切口(きりくち)をつゝみて治療(ぢりやう)し、全(ぜん)
快(くわい)の後(のち)に足(あし)を木(き)にて作(つく)り足(た)せり。其の手術(しゆじゆつ)を施(ほどこ)す時(とき)のさまは、わきの
見(み)るめもあはれなりき。
魯国(ロこく)の王都(わうと)伯得堡(ペテルボル)へ、帰国(きこく)の願書(ぐわんしよ)を呈出(ていしゆつ)し、其 返事(へんじ)を得(う)るまで、此(この)
射鴻塚(イルコウツカ)に滞在(たいざい)し、毎日(まいにち)飯料(はんれう)銅銭(どうせん)十 文(もん)づゝ代官(だいくわん)より渡(わた)され過(すご)ごしけるが、そ
の返事(へんじ)の来(きた)れるといふを聞(き)くに、帰国(きこく)の念(ねん)を思(おも)ひ止(と)まり、魯国(ロこく)の人(ひと)とな
現代語訳
【右丁】
この地に来ていた朝鮮人や中国人を見た。
そもそも漂流民が、ロシア国に漂着してから前後十数年に及び、その間、死を覚悟したことも少なからずあったが、最も恐れを抱いたのは、この地方の極寒に勝るものはなかった。およそこの国で、冬の間外出する時は顔を包み、目のみを現して
【下絵図の説明文】
ヤクーツクまでの道中の支度の図。
袋のような皮衣から頭を出し、目ばかりを出す被り物を被り、手袋をはめ、足を包み、皮靴を履いて防寒の用意は厳重である。
【左丁】
歩行するのであって、もし合わせ目の隙間から、耳鼻などが露わになる時は、凍って石のようになり、家に入り温まるに従って、たちまち解けて落ちることが常であった。時々頬先がえぐられたように解けて落ちた者も見たが、皆この凍傷の致すところで、土地の人もこの害からは免れることができない。それのみならず、厳しい寒気に遭う時は、手足も脱落することで、実際に庄蔵という者のようなケースでは、このため大いに悩まされたが、この地の医師は鋸で両足の膝の関節から挽き切り、焼酎に浸した木綿で切り口を包んで治療し、全快の後に足を木で作って補った。その手術を施す時の様子は、脇で見る目も哀れであった。
ロシア国の王都ペテルブルグへ、帰国の願書を提出し、その返事を得るまで、このイルクーツクに滞在し、毎日食事代として銅銭十文ずつを代官から渡されて過ごしていたが、その返事が来たということを聞くと、帰国の念を思い止まり、ロシア国の人となって
英語訳
【Right Page】
They saw Koreans and Chinese who had come to this place.
Originally, the castaways had been adrift in Russia for over ten years, and during that time, they had resolved themselves to death on more than a few occasions, but what they feared most was nothing compared to the extreme cold of this region. Generally in this country, when going outside during winter, they would wrap their faces, exposing only their eyes
【Lower Illustration Description】
Illustration of preparations for the journey to Yakutsk.
They put their heads out from bag-like leather clothing, wore head coverings that exposed only the eyes, put on gloves, wrapped their feet, wore leather boots - their preparations against the cold were thorough.
【Left Page】
and walk like this. If ears, noses, etc. were exposed through gaps in the coverings, they would freeze solid like stone, and as they entered houses and warmed up, they would immediately thaw and fall off - this was common. Sometimes they saw people whose cheek flesh had thawed and fallen off as if gouged out, but this was all caused by frostbite, and even the local people could not escape this harm. Moreover, when encountering severe cold, hands and feet would also fall off. Actually, in the case of someone named Shōzō, who suffered greatly from this, the local doctor sawed off both legs from the knee joints, wrapped the cut portions with cotton soaked in shōchū liquor for treatment, and after complete recovery, made wooden feet to replace them. The sight of performing this surgery was pitiful to witness.
They submitted a petition for repatriation to the royal capital of Russia, St. Petersburg, and while waiting to receive a response, they stayed in this Irkutsk, receiving ten mon in copper coins daily from the magistrate for food expenses. But when they heard that the response had come, they abandoned thoughts of returning home and became people of Russia...