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翻刻
【右丁】
【版心の中央部:(五十四)】
をぬらすべき事(こと)こそ出来(でき)たりけれ。
今(いま)此(こ)の悲(かなし)むべきことの概略(あらまし)を述(の)べんに、初(はじ)め大野村(おほのむら)長吉(ちやうきち)、木伐(きこ)りのため
に山(やま)に入(い)りしに、運(うん)拙(つたな)くて材木(ざいもく)に打(う)たれ、痛(いた)く筋骨(きんこつ)を損(そん)じ、且(か)つ腰(こし)をも傷(そこな)
ひければ、一同(いちどう)怠(をこた)りなく種々(しゅ〳〵)の看病(かんべう)に手(て)を尽(つく)したれども、薬(くすり)とてもなき
ことゆゑ、漸(やうや)くに弱(よわ)り衰(おとろ)へ、終(つひ)に相果(あひは)てけり。長吉(ちやうきち)兼(かね)て兄弟(けうたい)の約(やく)を結(むす)びし
ものありて、土人(どじん)にも兄弟(けうだい)の様(やう)に言(い)ひ聞(き)かせおきたりしが、長吉 臨終(いまは)の
時(とき)に、苦(くる)しき息(いき)の下(した)より、主人(しゆじん)に、此度(このたび)新船(しんせん)成(な)りて皆々(みな〳〵)共(とも)に日本(にほん)に帰(かへ)るべ
きなれども、我(われ)不幸(ふかう)にして図(はか)らず身(み)を傷(いた)め相果(あひは)つること是非(ぜひ)なき仕合(しあはせ)な
り、我々(われ〳〵)日本人(にほんじん)の、深(ふか)き親切(しんせつ)にあつかりし厚恩(こうおん)は、身(み)は死(し)するとも忘(わす)れが
たし。と遺言(ゆゐごん)し、又 兄弟(けうだい)の者(もの)には、われ今(いま)厚恩(こうおん)にあづかりたるまゝ、少(すこ)し
も其恩(そのおん)に酬(むく)いず相果(あひは)つること残念(ざんねん)の至(いた)りなり、今(いま)はたヾ、汝等(なんちら)はやく日本(にほん)
に帰(かへ)りて、金銀銅(きんぎんどう)はいふまでもなく、衣類(いるゐ)其 外(ほか)何品(なにしな)に限(かぎ)らず、沢山(だくさん)に持(も)ち
【左丁】
【版心の中央部:(五十五)】
来(きた)ることをたのむのみなり、必(かなら)ず片時(へんじ)も急(いそ)ぎ帰国(きこく)して、約束(やくそく)の通(とほ)りに載(の)せ
来(きた)り、死(し)する我(われ)の分(ぶん)までも、恩(おん)を報(むく)いくれよ。と、いふも苦(くる)しき息(いき)の下(した)、哀(あは)
れはかなくなりにけり。土人(どじん)どもも、側(わき)にありて泪(なみた)をながし、いたく悲(かな)
しめる色(いろ)見(み)えたりしが、長吉 臨終(いまは)の際(きは)まで、かく真実(しんじつ)らしく土人(どじん)を欺(あざむ)き
ければ、弥増(いやま)して実事(じつじ)となし、其 後(ご)は造船(ぞうせん)の手伝(てつだひ)にも一層(いツそう)力(ちから)をつくし、諸(しよ)
事(じ)懇切(こんせつ)にとりなしけり。
然(しか)るに五郎蔵といふ意気地(いくぢ)なきものありていひけるやう、長吉 最期(さいご)
まで、我々(われ〳〵)十二人の行末(ゆくすゑ)を案(あん)じ、後(のち)の便宜(べんぎ)を与(あた)へ呉(く)れたるは、憐(あは)れにも頼(たの)
もしき信切(しんせつ)なり、さりながら、新船(しんせん)はたとひ出来(でき)たりとて、己(おの)れ一人(ひとり)は一(いツ)
所(しよ)に伴(とも)なひ帰(かへ)るまじ、如何(いかん)となれば、日本(にほん)にて、巧(たく)みなる船大工(ふなだいく)と、それ〴〵
の道具(だうぐ)と、撰(えら)み上(あ)げたる木材(もくざい)釘(くぎ)鎹(かすがひ)と銅鉄(どうてつ)の巻物(まきもの)とにて、堅固(けんご)に作(つく)り成(な)し
たる船(ふね)にてさへ、纔(わつ)かに尾州より江戸(えど)までの海上(かいじやう)を通(かよ)ふに当(あた)り、少(すこ)しの
【文中のカタカナ「ツ」は促音を表していると思われ、そのまま翻刻した。】
【七行十四字目、十三行九字目「果」のルビ「は」は「ば」にも見える】
現代語訳
【右丁】
【版心の中央部:(五十四)】
袖を濡らすような悲しい出来事が起こった。
今、この悲しむべき出来事の概要を述べよう。初め大野村の長吉が、木を伐るために山に入ったところ、運悪く材木に打たれ、ひどく筋骨を損じ、また腰も傷つけたので、一同怠りなく様々な看病に手を尽くしたが、薬もないことから、だんだんと弱り衰え、ついに死んでしまった。長吉はかねて兄弟の契りを結んだ者がいて、土人にも兄弟のように言い聞かせておいたが、長吉が臨終の時に、苦しい息の下から、主人に、「今度新船が完成して皆で日本に帰ることになっているが、私は不幸にして図らずも身を傷め死んでしまうのは仕方のない運命である。我々日本人に深い親切にしてくださった厚恩は、身は死んでも忘れがたい」と遺言し、また兄弟の者には、「私は今厚恩を受けたまま、少しもその恩に報いずに死んでしまうのは残念の至りである。今はただ、あなたたちは早く日本に帰って、金銀銅はいうまでもなく、衣類その他何品に限らず、たくさん持って
【左丁】
【版心の中央部:(五十五)】
来ることを頼むのみである。必ず片時も急いで帰国して、約束の通りに積んで来て、死ぬ私の分までも、恩を報いてくれ」と、言うのも苦しい息の下で、哀れにもはかなく亡くなってしまった。土人たちも、そばにいて涙を流し、ひどく悲しんでいる様子が見えたが、長吉が臨終の際まで、このように真実らしく土人を欺いたので、ますます本当のことと信じ、その後は造船の手伝いにも一層力を尽くし、諸事懇切に世話をしてくれた。
ところが五郎蔵という意気地のない者がいて言うことには、「長吉は最期まで、我々十二人の行く末を案じ、後の便宜を与えてくれたのは、哀れにも頼もしい誠意である。しかしながら、新船はたとえ出来上がったとしても、自分一人は一緒に連れて帰ってもらうつもりはない。なぜかといえば、日本で、巧みな船大工と、それぞれの道具と、選び上げた木材や釘・かすがいと銅鉄の金具とで、堅固に作り上げた船でさえ、わずかに尾州から江戸までの海上を通うのに当たって、少しの
英語訳
【Right Page】
【Page center: (54)】
a sorrowful event that would make them shed tears had occurred.
Now I shall describe the outline of this lamentable event. Initially, Chokichi from Ohno village entered the mountains to cut wood, but unfortunately was struck by timber, severely injuring his muscles and bones and also hurting his back. Although everyone devoted themselves tirelessly to various forms of nursing care, since there was no medicine, he gradually weakened and declined, finally passing away. Chokichi had previously formed a brotherhood bond with someone and had told the natives they were like brothers. When Chokichi was dying, with labored breath, he said to his master: "This time when the new ship is completed, everyone should return to Japan together, but I am unfortunate and have unexpectedly injured myself and died - this is an unavoidable fate. The great kindness shown to us Japanese people is something I cannot forget even in death." He also said to his sworn brother: "I am now receiving great kindness, but it is most regrettable that I die without repaying any of that kindness. Now I can only ask that you quickly return to Japan and bring back not only gold, silver, and copper, but also clothing and any other goods in abundance.
【Left Page】
【Page center: (55)】
This is all I ask. You must hurry back to your homeland without delay, load up as promised, and repay the kindness even for my share who will be dead." Saying this with labored breath, he sadly and pitifully passed away. The natives were also at his side shedding tears, appearing deeply saddened. Since Chokichi deceived the natives so convincingly right up to his deathbed, they believed it even more firmly, and afterward put even greater effort into helping with shipbuilding and took care of everything with utmost kindness.
However, there was a cowardly man named Gorozo who said: "Chokichi, even until his final moment, worried about the future of us twelve men and provided for our later convenience - this was pitiful yet reliable sincerity. Nevertheless, even if the new ship is completed, I alone will not go along with the others. Why? Because even ships made solidly in Japan by skilled shipbuilders with proper tools, selected timber, nails and clamps, and copper and iron fittings, when traveling the short sea route from Bishu to Edo, encounter some