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翻刻
【右丁】
【版心の中央部:(六十)】
此 船中(せんちう)には、矢(や)、半弓(はんきう)、鉄砲(てツぱう)など見(み)え、乗込(のりこ)みの人々(ひと〴〵)は、日本にては武士(ぶし)奉(ぶ)
行(ぎやう)の体(てい)にて物々(もの〳〵)しく見(み)え、何(いづ)れも剣(けん)をさし、殊(こと)に其 内(うち)一人の大将(たいしやう)と見(み)ゆ
るものは、髪(かみ)をからわに結(むす)び、別(わ)けてすさまじき風体(ふうてい)なりき。其内(そのうち)に日(に)
本語(ほんご)に通(つう)じたるもの一人ありて、何国(いづく)より何(いづ)れへ通(かよ)ふ船(ふね)なるぞと問(と)ひ
ければ、大日本(だいにほん)の民(たみ)にて、三 年以前(ねんいぜん)難風(なんぷう)に逢(あ)ひ漂流(へうりう)せしことより、やうや
く船(ふね)を作(つく)りて還(かへ)り来(きた)れる始末(しまつ)を答(こた)ふるに、彼(かれ)又 怪(あやし)みて、此船(このふね)日本(にほん)の船(ふね)に
あらざるべし、ことに用材(ようざい)は日本の産物(さんぶつ)にあらず。と詰(なじ)りけり。より
て前(まへ)にも述(の)ぶるが如(ごと)く、此船(このふね)は馬丹島(ばたんとう)にて材木(ざいもく)をもらひ、我等(われら)の手(て)にて
造作(ぞうさく)したるものなることを陳(の)べければ、彼(かれ)は此方(こなた)の辛苦(しんく)を察(さツ)し、殊(こと)の外(ほか)い
たはり、先(ま)づ之(これ)を食(く)ふべしとて、米(こめ)五 升(しやう)ほど与(あた)へられしが、三 年目(ねんめ)にて始(はじ)
めて米(こめ)を見(み)たることなれば、うれしさ喩(たと)ふるに物(もつ)なし。
それより此方(こなた)を導(みちび)きて、舟路(ふなぢ)三 里(り)ほど南に進(すヽ)み、特(こと)の外(ほか)よき所(ところ)につき
【左丁】
【版心の中央部:(六十一)】
しが、船(ふね)をかけおくべしと伝(つた)へて、
一、米(こめ)。 八 斗程(とほど)。 一、やくわん。一個(いツか)。 一、筍漬(だけのこつけ)。【「だ」は「た」ヵ】少々(せう〳〵)。
一、塩辛(しほから)。四五 升(しやう)。 一、塩魚(しほうを)。二十 計(ばかり)。 一、くき菜(な)。少々(せう〳〵)。
一、塩(しほ)。 一、薪(たきヾ)。一 束(そく)。 一、木綿(もめん)衣物(きもの)。十一。
一、縫物糸(ぬひものいと)。少(すこ)し。 一、縫物針(ぬひものはり)。四 五(ほん)本。【ルビ「ほん」は「本」のもの】 一、磁石(じヽやく)。一個(いツか)。
其他(そのた)、長崎(ながさき)までの海上図(かいじやうづ)を、紙(かみ)に親切(しんせつ)に書(か)き、東西南北(とうざいなんぼく)を付(つ)け記(しる)したる
図(づ)など、多(おほ)くの物(もの)を与(あた)へけり。深(ふか)く愛隣(あいれん)を加(くわ)へらるゝこと、偏(ひとへ)に有(あり)がたく
思(おも)ひ、我(わ)が日本(にほん)の威稜(みいつ)を仰(あふ)ぐ国(くに)にては、かくもあるものにやと、皇恩(くわうおん)の極(きはま)
りなきを感(かん)じ、はや日本に帰着(きちやく)せる思(おも)ひをぞなしたりける。之に就(つ)き
ても、たとひ唐天竺(からてんぢく)のはてに居(ゐ)て、いまだ日本(にほん)の事(こと)を知(し)らざる蛮夷(ばんい)にも
せよ、馬丹島(ばたんじま)の土人(どじん)が、残忍(さんにん)無道(むだう)なりしことを思(おも)ひ回(めぐ)らせば、今更(いまさら)恨(うら)めしと
いふも愚(おろか)なり。
【文中のカタカナ「ツ」は促音を表していると思われ、そのまま翻刻した。】
現代語訳
【右丁】
【版心の中央部:(六十)】
この船の中には、矢、半弓、鉄砲などが見え、乗り込んでいる人々は、日本では武士や奉行の体で物々しく見え、いずれも剣を差し、特にその内の一人の大将と見える者は、髪をからわに結び、特に恐ろしい風体であった。その中に日本語に通じた者が一人いて、「どこの国からどこへ通う船なのか」と問うので、「大日本の民で、三年以前に暴風に遭い漂流したことから、ようやく船を作って帰り来た次第です」と答えると、彼はまた怪しんで、「この船は日本の船ではないだろう、特に用材は日本の産物ではない」と詰った。そこで前にも述べたように、この船はバタン島で材木をもらい、我等の手で造作したものであることを述べると、彼はこちらの辛苦を察し、特別に労わって、「まずこれを食べなさい」と言って、米五升ほど与えられたが、三年目で初めて米を見たことなので、嬉しさは例えようがない。
それよりこちらを導いて、船路三里ほど南に進み、特に良い所に着いた
【左丁】
【版心の中央部:(六十一)】
ところ、「船を掛けておくべし」と伝えて、
一、米。八斗ほど。 一、薬缶。一個。 一、筍漬。少々。
一、塩辛。四五升。 一、塩魚。二十匹ばかり。 一、茎菜。少々。
一、塩。 一、薪。一束。 一、木綿衣物。十一枚。
一、縫物糸。少し。 一、縫物針。四五本。 一、磁石。一個。
その他、長崎までの海上図を、紙に親切に書き、東西南北を付け記した図など、多くの物を与えた。深く愛隣の情を加えられることは、ひとえに有り難く思い、我が日本の威光を仰ぐ国では、このようにしてくれるものかと、皇恩の限りなきを感じ、もはや日本に帰着した思いをしたのであった。これについても、たとえ唐天竺の果てにいて、まだ日本のことを知らない蛮夷であっても、バタン島の土人が残忍無道であったことを思い巡らせば、今更恨めしいと言うのも愚かなことである。
英語訳
【Right Page】
【Page center: (60)】
In this ship were visible arrows, short bows, muskets and such, and the people aboard appeared formidable in the manner of samurai and magistrates in Japan, all wearing swords. Particularly one who appeared to be their commander had his hair bound in a topknot and had an especially fierce appearance. Among them was one who understood Japanese, who asked, "From what country to where does this ship travel?" When they answered, "We are people of Great Japan who encountered a storm three years ago and drifted away, and have finally built a ship to return," he became suspicious again, saying "This ship cannot be a Japanese vessel, and especially the materials are not Japanese products," reproaching them. So as mentioned before, they explained that this ship was built with timber received from Batan Island, constructed by their own hands. He then recognized their hardships and showed special compassion, saying "First you should eat this," and gave them about five sho of rice. Since this was the first time they had seen rice in three years, their joy was beyond description.
From there he guided them, proceeding about three ri south by sea route, arriving at a particularly good place
【Left Page】
【Page center: (61)】
where he told them "You should moor your ship here," and gave them:
One, Rice. About eight to [measures]. One, Kettle. One piece. One, Pickled bamboo shoots. A little.
One, Salted fish paste. Four to five sho. One, Salted fish. About twenty. One, Stem vegetables. A little.
One, Salt. One, Firewood. One bundle. One, Cotton clothing. Eleven pieces.
One, Sewing thread. A little. One, Sewing needles. Four to five. One, Magnetic compass. One piece.
Besides these, he kindly drew on paper a sea chart to Nagasaki, marking east, west, south and north directions, and gave them many other things. Being shown such deep neighborly affection, they felt nothing but gratitude, thinking that in countries that revere the majesty of Japan, people would act in such a way, and feeling the boundless imperial benevolence, they already felt as if they had returned to Japan. Regarding this, even if they were barbarians at the ends of China and India who still knew nothing of Japan, when they thought back on how the natives of Batan Island had been cruel and heartless, it would be foolish to hold resentment even now.