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コレクション: 漂流記コレクション

日本漂流譚 - 翻刻

日本漂流譚 - ページ 52

ページ: 52

翻刻

【右丁】 【版心の中央部:(九十)】 のはてより遠(とほ)き唐土(もろこし)に客(かく)となり、肉親(にくしん)も及(およ)ばぬ厚(あつ)きなさけを受(う)けし上(うへ)、 かくまでに思(おも)はるゝこと、不思議(ふしぎ)といふの外(ほか)なかりけり。  出帆(しゆツぱん)にのぞみ、国王(こくわう)より巻物(まきもの)三十 巻(くわん)ヅヽ猩々緋(しやう〴〵ひ)三十 巻(くわん)ヅヽ長毛氈(ながもうせん)唐(たう) 紙(し)の類(るゐ)品々(しな〴〵)と六 寸(すん)四方の板銀(いたぎん)に文字(もじ)を彫(ゑ)り真紅(しんく)の総(ふさ)をつけたるもの を各(おの〳〵)に賜(たま)はりしが、こは船中(せんちう)の切手(きツて)のよしにて、首(くび)にかけおく様(やう)命(めい)ぜら れければ、皆々(みな〳〵)命(めい)のまゝにして乗船(じやうせん)し、海上(かいじやう)恙(つヽが)なく、四月十九日といふに 肥前(ひぜん)の国 長崎港(ながさきみなと)に着船(ちやくせん)したり。さて其地(そのち)の奉行(ぶぎやう)所にて取調(とりしら)べを受(う)け、 清国(しんこく)にて贈(おく)られたる諸物品(しよぶツひん)は悉(こと〴〵)く取(と)り上(あ)げられ、船中(せんちう)切手(きツて)の代(かは)りには 白銀(しろぎん)三 枚(まい)づゝを賜(たま)はりぬ。其他(そのた)の巻物(まきもの)等(とう)は、長崎(ながさき)を立(た)ち去(さ)るとき、鳥羽(とば) 役人(やくにん)のすゝめにて、長(なが)き道中(だうちう)に物貨(ぶツくわ)の携帯(けいたい)は難儀(なんぎ)なるべしとて、悉(こと〴〵)く之(これ) を売(う)り払(ばら)ひ、郷国(きやうこく)への土産(みやげ)として、唯(たヾ)少(すこ)しばかりを残(のこ)して、携(たづさ)へ帰(かへ)りける こととはなしぬ。 【左丁】 【版心の中央部:(九十一)】  かくて、五月廿五日に至(いた)りて、長崎(ながさき)奉行所(ぶぎやうしよ)よりは、鳥 羽(ぱ)【ルビは「とば」ヵ】の役人(やくにん)と三人の ものゝ親類(しんるゐ)の内(うち)二人づゝ受取(うけとり)として来(きた)るべきよしの飛脚(ひきやく)ありければ、 三十 余日(よにち)の後(のち)、鳥羽(とば)より役人(やくにん)白井(しらゐ)金(きん)右 衛門(ゑもん)外(ほか)二人と、親族(しんぞく)のもの六七人 長崎(ながさき)に着(ちやく)したり。是(こヽ)に於(おい)て皆(みな)それ〴〵へ引渡(ひきわた)されければ、直(たヾち)に長崎(ながさき)を 出発(しゆツぱつ)し、海陸(かいりく)恙(つヽが)なく七月廿三日の夕(ゆふ)つがた、故郷(こきやう)鳥羽(とば)にぞ着(ちやく)しける。然(しか) るに三人は先(ま)づ役所(やくしよ)に召出(めしいだ)され、以後(いご)は生涯(しやうがい)船棄(ふなのり)【乗ヵ】の渡世(とせい)を為(な)すべから ざる旨(むね)厳重(げんじゆう)に達(たツ)せられたり。さて始(はじ)めて各(おの〳〵)帰宅(きたく)を許(ゆる)されしが、初(はじ)め乗(のり) 組(くみ)六人の内(うち)、二人は海上(かいしやう)にて渇死(かツし)し、一人はタイワン(════════)国(こく)にて病死(べうし)し、残(のこ)る 三人 船頭(せんどう)小平次(こへいじ)、水主(かこ)和田村(わたむら)吉(きち)右 衛門(ゑもん)三ケ所村(しよむら)権(ごん)八 共(とも)に安着(あんちやく)なしけれ ば、うどんげの咲(さ)きしにまさる珍事(ちんじ)なりとて、親類(しんるゐ)縁者(ゑんじや)打集(うちあつま)り、嬉(うれ)し涙(なみだ)に 悦(よろこ)びあひ、諸人(しよにん)一同 大音(だいおん)あげて幸運(かううん)をぞ祝(しゆく)しける。 【文中のカタカナ「ツ」は促音を表している(五行十六、二十四行目二箇所は数を表している)と思われ、そのまま翻刻した。】

現代語訳

【右丁】 【版心の中央部:(九十)】 の果てから遠い中国に客となり、肉親も及ばない厚い情けを受けた上、これほどまでに思われること、不思議というほかなかった。 出帆に臨み、国王より巻物三十巻ずつ、猩々緋三十巻ずつ、長毛氈、唐紙の類品々と、六寸四方の板銀に文字を彫り真紅の房をつけたものを各々に賜ったが、これは船中の切手のことで、首にかけておくよう命じられたので、皆々命の通りにして乗船し、海上つつがなく、四月十九日に肥前国長崎港に着船した。さてその地の奉行所で取り調べを受け、清国で贈られた諸物品はことごとく取り上げられ、船中切手の代わりには白銀三枚ずつを賜った。その他の巻物等は、長崎を立ち去るとき、鳥羽役人の勧めで、長い道中に物貨の携帯は難儀であろうとて、ことごとくこれを売り払い、郷国への土産として、ただ少しばかりを残して、携えて帰ることとなった。 【左丁】 【版心の中央部:(九十一)】 こうして、五月二十五日に至って、長崎奉行所からは、鳥羽の役人と三人のものの親類のうち二人ずつ受け取りとして来るべき旨の飛脚があったので、三十余日の後、鳥羽より役人白井金右衛門外二人と、親族のもの六七人が長崎に着いた。ここにおいて皆それぞれへ引き渡されたので、直ちに長崎を出発し、海陸つつがなく七月二十三日の夕方、故郷鳥羽に着いた。しかるに三人はまず役所に召し出され、以後は生涯船乗りの渡世をなすべからざる旨厳重に達せられた。さて初めて各々帰宅を許されたが、初め乗り組み六人のうち、二人は海上で渇死し、一人は台湾国で病死し、残る三人、船頭小平次、水主和田村吉右衛門、三ケ所村権八ともに安着したので、優曇華の咲いたにまさる珍事なりとて、親類縁者打ち集まり、嬉し涙に喜び合い、諸人一同大音あげて幸運を祝した。

英語訳

【Right Page】 【Page center: (90)】 from the ends of Japan, becoming guests in distant China, receiving kindness deeper than that of blood relatives - to be thought of so highly was nothing short of miraculous. Upon departure, the king bestowed upon each of them thirty rolls of scrolls, thirty rolls of scarlet silk, long felt carpets, various types of Chinese paper, and silver plates six inches square with carved characters and attached crimson tassels. These served as ship passes, and they were ordered to wear them around their necks. Following these orders, they boarded the ship and sailed safely across the sea, arriving at Nagasaki Port in Hizen Province on April 19th. There they were investigated by the local magistrate's office, and all the various goods given to them in China were confiscated. In place of the ship passes, they were each given three pieces of silver. As for the other scrolls and such, when leaving Nagasaki, on the advice of Toba officials who said that carrying goods on the long journey would be troublesome, they sold everything and kept only a small amount as souvenirs for their homeland to take back with them. 【Left Page】 【Page center: (91)】 Thus, on May 25th, a messenger came from the Nagasaki magistrate's office saying that officials from Toba and two relatives each of the three men should come to receive them. More than thirty days later, official Shirai Kinemon and two others from Toba, along with six or seven relatives, arrived in Nagasaki. Here they were handed over to their respective people, immediately departed Nagasaki, and safely traveled by sea and land, arriving in their hometown of Toba on the evening of July 23rd. However, the three men were first summoned to the government office and strictly ordered never again to make their living as sailors for the rest of their lives. Then they were finally permitted to return home. Of the original crew of six, two had died of thirst at sea, one had died of illness in Taiwan, and the remaining three - ship captain Koheiji, sailor Watamura Kichiemon, and Mikasho village's Gonhachi - had all arrived safely. This was considered an even rarer event than the blooming of the udumbara flower, so relatives and connections gathered together, rejoicing with tears of joy, and all the people raised their voices in celebration of this good fortune.