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コレクション: 漂流記コレクション

日本漂流譚 - 翻刻

日本漂流譚 - ページ 88

ページ: 88

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【右丁】 【版心の中央部:(百五十八)】 出(いだ)しゝ者(もの)へは金銭(きんせん)八文を与(あた)へ、それより日本の山を見出(みいだ)しゝ者には十 二文を与(あた)へんなどゝて、互(たがひ)に争(あらそ)ひ競(きそ)ひければ、孫七も共(とも)に帆柱(ほばしら)に上(のぼ)りて、 広東(くわんとん)琉球(りうきう)は兎(と)も角(かく)も、己(おの)が故郷(こきやう)なる日本国(にほんこく)の山は、我(われ)一 番(ばん)に見出(みい)でんと て、眸(め)を凝(こら)して眺(なが)め居(ゐ)たりしが、果(はた)して其 功名(こうめい)は孫七が身(み)に帰(き)したるに ぞ、何(いづ)れも手(て)を拍(う)ちて賞歎(しようたん)しける程(ほと)に、船(ふね)は間(ま)もなく進(すヽ)みて、肥前(ひぜん)の国(くに)高(たか) 鉾島(ほこじま)のこなたに近(ちかづ)きぬ。于時(ときに)明和(めいわ)七 年(ねん)庚寅六月十六日 昼(ひる)の八(や)ツ時 過(す) ぐる頃(ころ)なりき。此(これ)より長崎(ながさき)の港(みなと)は程(ほど)近(ちか)ければ、大砲(たいはう)小銃(こづヽ)など貯(たくは)へ居(ゐ)て は入港(にふかう)差許(さしゆる)さるゝこと叶(かな)はじとて、一 切(さい)の戎器(じうき)は之(これ)を海中(かいちう)に投(とう)じ、只 商(しやう) 品(ひん)ばかりにして、其(そ)の日(ひ)の夕刻(ゆふこく)長崎(ながさき)御番所(ごばんしよ)の前(まへ)に乗込(のりこ)み碇(いかり)をおろしゝ に、やがて役人衆(やくにんしゆう)船(ふね)に来(きた)り、積荷物(つみにもつ)等(とう)一切(いツさい)取調(とりしら)べ、之を帳面(ちやうめん)に記(しる)し、終(おは)りて 何(いづ)れも上陸(じやうりく)を許(ゆる)されたり。  初(はじ)め彼(か)の地(ち)の港(みなと)を出帆(しゆツばん)してより、日数(ひかず)三十九日 海上(かいじやう)四千 余里(より)、八重(やへ)の 【左丁】 【版心の中央部:(百五十九)】 潮路(しほぢ)を恙(つヾが)なく、今日(けふ)の只今(たヾいま)己(おの)が故国(ここく)に帰(かへ)りたる孫七が心(こヽろ)の中(うち)如何(いか)ばか りかうれしかりけん、喩(たと)へて言(い)はんも愚(おろか)なり、唯(たヾ)推(お)し量(はか)りてぞ知(し)りぬべ き。さて孫七は只(たヾ)一人(ひとり)、異国船(いこくせん)にて帰(かへ)りたることなれば、一旦(いツたん)は役人(やくにん)に 疑(うたが)はれ、荷物(にもつ)は尽(こと〴〵)く解(と)きはなし、身(み)に着(つ)けたる衣類(いるゐ)まで褫(は)ぎ取(と)りて、一々 詮議(せんぎ)ありけるに、固(もと)より怪(あや)しむべき《振り仮名:咎|ど【とヵ】が》のあるべきにあらされば、やがて 奉行所(ぶぎやうしよ)に召(め)し出(いだ)され、漂流(へうりう)の初(はじめ)より今(いま)に《振り仮名:至|いだ【たヵ】》るまでの経歴(けいれき)をば、委(くわ)しく認(したヽ) めて差出(さしいだ)すべき旨(むね)達(たツ)せられけるにぞ、直(たヾ)ちに認(したヽ)めて上(たてまつ)りけるに、江府(こうふ)よ りの御裁許(ごさいきよ)あるまでは、在所(ざいしよ)へ帰(かへ)るべからずとて、其(そ)の地(ち)の揚屋(あがりや)に御預(おあづ) けの身(み)となりぬ。されば慎(つヾ)しみて命(めい)の下(くだ)るを待(ま)ち居(ゐ)たりしに、八月廿 日に至(いた)り江府(こうふ)御裁許(ごさいきよ)あり、且(か)つ孫七を載(の)せて帰(かへ)りし賞(しよう)として、蘭人(らんじん)に銅 二千 斤(きん)、又 筑前(ちくぜん)の領主(れうしゆ)よりも米(こめ)二十 石(こく)をぞ賜(たま)はりける。孫七はかゝる ありがたき恵(めぐ)みを受(う)くるにつけても、まづ蛮地(ばんち)にて別(わか)れにし十九人の

現代語訳

【右丁】 【版心の中央部:(百五十八)】 出した者には金銭八文を与え、それから日本の山を見つけ出した者には十二文を与えようなどと言って、互いに争い競ったので、孫七も一緒に帆柱に登って、広東や琉球はともかく、自分の故郷である日本国の山は、我が一番に見つけ出そうと思って、目を凝らして眺めていたところ、果たしてその功名は孫七の身に帰したので、誰もが手を打って賞賛したほどに、船は間もなく進んで、肥前の国高鉾島の手前に近づいた。時に明和七年庚寅六月十六日昼の八つ時過ぎる頃であった。ここより長崎の港は程近いので、大砲や小銃などを蓄えていては入港を許可されることは叶わないだろうとして、一切の武器はこれを海中に投じ、ただ商品ばかりにして、その日の夕刻長崎御番所の前に乗り込み碇を下ろしたところ、やがて役人衆が船に来て、積荷物等一切を取り調べ、これを帳面に記し、終わって誰もが上陸を許された。 初めあの地の港を出帆してから、日数三十九日海上四千余里、幾重もの 【左丁】 【版心の中央部:(百五十九)】 潮路を無事に、今日のただ今自分の故国に帰った孫七の心の中がどれほど嬉しかったことだろうか、例えて言うのも愚かなことで、ただ推し量って知るべきものである。さて孫七はただ一人、異国船で帰ったことなので、一旦は役人に疑われ、荷物はことごとく解きほどかし、身に着けていた衣類まで剥ぎ取って、一々詮議があったが、もとより怪しむべき咎のあるはずもないので、やがて奉行所に召し出され、漂流の初めから今に至るまでの経歴を、詳しく書いて差し出すべき旨を達せられたので、直ちに書いて差し上げたところ、江戸からの御裁許があるまでは、在所へ帰ってはならないとして、その地の揚屋に御預けの身となった。そこで慎んで命令の下るのを待っていたところ、八月二十日に至り江戸の御裁許があり、かつ孫七を載せて帰った賞として、オランダ人に銅二千斤、また筑前の領主からも米二十石を賜った。孫七はこのような有り難い恵みを受けるにつけても、まず異国の地で別れた十九人の

英語訳

【Right Page】 【Center of the spine: (158)】 They would give eight mon to whoever spotted [the mountains of Ryukyu], and twelve mon to whoever first spotted the mountains of Japan. As they competed with each other, Magoshichi also climbed the mast and, thinking that regardless of Guangdong or Ryukyu, he would be the first to spot the mountains of Japan, his homeland, he stared intently. Indeed, that honor fell to Magoshichi, and everyone clapped their hands in praise. The ship soon advanced and approached near Takahoko Island in Hizen Province. This was around the eighth hour past noon on the sixteenth day of the sixth month of Meiwa 7 (1770), the year of the Metal Tiger. Since Nagasaki harbor was now close, they realized that if they kept cannons, muskets and such stored aboard, they would not be permitted to enter port, so they threw all weapons into the sea, keeping only trade goods. That evening they sailed before the Nagasaki guard station and dropped anchor. Officials soon came aboard, inspected all the cargo, recorded it in ledgers, and when finished, everyone was permitted to go ashore. From when they first departed that foreign port, it had been thirty-nine days and over four thousand ri at sea, across many 【Left Page】 【Center of the spine: (159)】 tide-paths safely, and how joyful must have been Magoshichi's heart when he returned to his homeland this very day - to describe it would be foolish, one can only imagine and understand. Since Magoshichi had returned alone on a foreign ship, he was initially suspected by the officials. They completely unpacked his belongings and even stripped off the clothes he wore, conducting detailed interrogations. But since there was naturally nothing suspicious to be found, he was soon summoned to the magistrate's office and ordered to write a detailed account of his experiences from the beginning of his drift until the present, which he immediately wrote and submitted. He was told he could not return to his home province until permission came from Edo, so he was placed in custody at the local detention house. As he waited respectfully for orders, on the twentieth day of the eighth month permission came from Edo. As a reward for bringing Magoshichi back, the Dutch were given two thousand kin of copper, and the lord of Chikuzen also bestowed twenty koku of rice. As Magoshichi received such grateful blessings, he first thought of the nineteen people who had parted from him in that foreign land.