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コレクション: 漂流記コレクション

日本漂流譚 - 翻刻

日本漂流譚 - ページ 89

ページ: 89

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【右丁】 【版心の中央部:(百六十)】 ことのしのばれて、しばしは涙(なみだ)に咽(むせ)びしが、さてあるべきにあらざれば、 やがて衣服(いくふ)を改(あらた)めなどして、駕籠(かご)を雇(やと)ひ、己(おの)が在所(ざいしよ)へと急(いそ)がせけるに、同(おな) じく廿六日の夕(ゆふ)つがた、恙(つヾが)もなく唐泊(からとまり)の浦(うら)なる己(おの)が家(いへ)にぞ着(つ)きにける。 然(しか)るに兄(あに)なりける人 一人(ひとり)家(いへ)にありて、孫七の顔(かほ)を見(み)るより、且(か)つは驚(おどろ)き 且(か)つはよろこび、しばしは言葉(ことば)も出(い)でずして、唯(たヾ)茫然(ばうぜん)として居(ゐ)たりしが、 まかふかたなき真(まこと)の弟(おとヽ)なりければ、後(のち)は近(ちか)より手(て)を取(と)りて、如何(いか)にして 今(いま)此処(こヽ)へは返(かへ)りしぞ、如何(いか)なる国(くに)のはてにて今(いま)まで月日(つきひ)を送(おく)りしぞ、何 故(ゆゑ)に永(なが)の年月(としつき)唯(たヾ)一度(いちど)の音信(おとづれ)もせざりしなど、過(す)ぎにしあとの物語(ものがたり)に時(とき) を移(うつ)して孫七は、仏壇(ぶつだん)の前(まへ)に進(すヽ)みより、まづ両親(りやうしん)の霊牌(れいはい)にぬかつき、頭(かしら)を あげて他(た)の霊牌(れいはい)を見渡(みわた)すに、多(おほ)くの中(うち)に、清入信士(せいにふしんじ)と記(しる)されたるを怪(あや)し み、取(とツ)て其(そ)の裏(うら)を見(み)しに、俗名(ぞくめう)孫七行年十七 歳(さい)宝暦(ほうれき)十二壬午十月六日 歿(ぼつ) と、我(わ)が身(み)が船出(ふなで)の当日(とうじつ)を命日(めいにち)にして、亡(な)き人(ひと)の数(かず)に入(い)れられたるにぞ 【左丁】 【版心の中央部:(百六十一)】 ありける。孫七 之(これ)を見(み)て我(わ)が身(み)の運(うん)のつよかりしをよろこぶと共に、 蛮地(ばんち)にてまことの亡者(もうじや)となりにし人々(ひと〴〵)のことなど又も思(おも)ひ出(い)でつゝ、 しきりに暗涙(あんるゐ)を催(もよほ)せり。かくて其(そ)の夜(よ)は兄(あに)と共(とも)に語(かた)り明(あか)し、彼(か)の十九 人が《振り仮名:跡|□【あヵ】と》のことヾも尋(たつ)ねしに、何(いづ)れも変(かは)りはてたる様子(やうす)にて、或(あるひ)は老(を)いた る父母(ふぼ)の世(よ)を去(さ)るもあり、或(あるひ)は幼(わか)き子(こ)とものなくなりしもあり、或(あるひ)は妻(つま) が夫(をツと)の帰(かへ)りを待(まち)わびて、他(た)の夫(をツと)を《振り仮名:迎|う【むヵ】か》へたるもあり、或は幼(わか)き子(こ)をつれて、 他家(たけ)に再縁(さいえん)したるもありて、殆(ほとん)ど昔(むかし)のありさまはあらざれば、浦島太郎(うらしまたろう) がふることも、今更(いまさら)思(おも)ひ合(あ)はされて、うき世(よ)のはかなさぞかこたれにけ る。兎(と)まれ角(かく)まれ、唯(たヾ)めでたきは今(いま)の浦島(うらしま)孫七(まごしち)が身(み)の上(うへ)なり。今(いま)拙(つたな) き筆(ふで)にて、かゝる例(ためし)を書(か)きつヾけぬるも、いとヾはえある心地(こヽち)せらるゝ まゝに、菅(すげ)の根(ね)のなが〴〵しきも厭(いと)はで斯(か)くなん。 【二十一行三字目「跡」のルビ□は「ろ」にも見える】

現代語訳

【右丁】 【版心の中央部:(百六十)】 ことが偲ばれて、しばしは涙に咽んだが、そうしているわけにもいかないので、やがて衣服を着替えなどして、駕籠を雇い、自分の在所へと急がせたところ、同じく二十六日の夕方、無事に唐泊の浦にある自分の家に着いた。 ところが兄である人が一人家にいて、孫七の顔を見るなり、驚きかつ喜び、しばしは言葉も出ないで、ただ茫然としていたが、紛れもない真の弟であったので、後には近寄って手を取り、「どうして今ここへ戻ってきたのか、どのような国の果てで今まで月日を送っていたのか、なぜ長い年月の間ただの一度の音信もしなかったのか」など、過ぎし日の物語に時を過ごして、孫七は仏壇の前に進み寄り、まず両親の霊牌に額づき、頭を上げて他の霊牌を見回すと、多くの中に「清入信士」と記されたものを怪しみ、取ってその裏を見ると、「俗名孫七 行年十七歳 宝暦十二壬午十月六日没」と、わが身の船出の当日を命日として、亡き人の数に入れられていた 【左丁】 【版心の中央部:(百六十一)】 のであった。孫七はこれを見て、わが身の運の強かったことを喜ぶと共に、異国の地で本当の亡者となった人々のことなどをまた思い出しては、しきりに密かな涙を催した。こうしてその夜は兄と共に語り明かし、あの十九人のその後のことども尋ねたところ、いずれもすっかり変わり果てた様子で、ある者は老いた父母が世を去り、ある者は幼い子どもがなくなり、ある者は妻が夫の帰りを待ちかねて他の夫を迎え、ある者は幼い子を連れて他家に再縁していて、ほとんど昔の有様ではなかったので、浦島太郎の古事も今更思い合わされて、憂き世のはかなさを嘆いた。とにもかくにも、ただめでたいのは今の浦島孫七の身の上である。今つたない筆で、このような例を書き続けたのも、いっそう映えある心地がするままに、菅の根の長々しいのも厭わずこのように書いたのである。

英語訳

【Right Page】 【Center of the spine: (160)】 thoughts of them made him weep with emotion, but since he could not remain in that state, he soon changed his clothes and hired a palanquin to hurry to his home province. On the evening of the same twenty-sixth day, he safely arrived at his own house in Karatomari Bay. However, his elder brother was at home alone, and upon seeing Magoshichi's face, he was both surprised and delighted. For a while he could not speak and just sat there dazed, but recognizing his unmistakable true younger brother, he later came close and took his hand, asking "How did you return here now? In what distant country have you spent these months and years? Why did you not send even one message during all these long years?" They spent time in stories of the past. Magoshichi approached the Buddhist altar, first prostrated himself before his parents' memorial tablets, then raised his head to look over the other tablets. Among the many, he found one inscribed "Seinyū Shinji" suspicious, so he took it and looked at the back, which read "Lay name: Magoshichi, aged 17 years, died on the 6th day of the 10th month of Hōreki 12, year of the Water Horse" - the very day of his departure had been made his death day, and he had been counted among the dead. 【Left Page】 【Center of the spine: (161)】 Seeing this, Magoshichi rejoiced that his fate had been so strong, but also remembering the people who had truly become deceased in that foreign land, he was moved to shed secret tears. That night he talked through until dawn with his brother, and when he inquired about what had happened to those nineteen people afterward, everything had completely changed - some had lost their aged parents, some had lost their young children, some wives had grown weary of waiting for their husbands' return and taken other husbands, some had remarried into other families with their young children. Hardly anything remained as it had been in the past, so the ancient tale of Urashima Tarō came to mind anew, and he lamented the transience of this sorrowful world. In any case, what was truly fortunate was the circumstances of the present-day Urashima, Magoshichi. That I have continued writing such an account with my poor brush is because it gives me an increasingly inspiring feeling, and like the long roots of sedge grass, I do not tire of the length and write thus.