琉球・沖縄の世界を翻刻する

コレクション: ハワイ大学所蔵 阪巻・宝玲文庫 vol. 1

琉球奇譚 - 翻刻

琉球奇譚 - ページ 7

ページ: 7

翻刻

流求(りうきう)と 書(か)く。 元史(げんし)にハ 瑠求(りうきう)と 書(か)く。その 後今(のちいま)の 琉球(りうきう)の 字(もじ)にハ 改(あらため)たり《割書: 中山傳信録(ちうざんでんしんろく)にハ 明(ミん)の 洪武(こうぶ)年中今の 字(じ)に| 改(あらたむ)ると 紀(しる)せしハ 誤(あやまり)にて夫より前の事なり》〇 往昔(いにしへ)我国(わがくに) より 琉球(りうきう)を 呼(よ)びて 宇留麻廼久煮尒(うるまのくに)といへり。 大貳(だいに)の 三位(さんゐ)の 狭衣(さごろも)に。 右琉間(うるま)の 島(しま)とありて。 下紐(したひも)に。うるまの 島(しま)ハ 琉(りう) 球(きう)なりと 有(ある)にて 明(あき)らけし。また 千載集(せんざいしふ)の 哥(うた)に〽おぼつかな うるまの 島(しま)の人なれや 我言(わがこと)の 葉(は)をしらず 顔(がほ)なる。 又古(またふる)くは 於幾廼志摩(おきのしま)とも 呼(よ)びたり。 彼国人(かのくにうど)。 自(ミづか)らその 国(くに)を 屋其惹(おきの)ともいふ也。〽さつまがたおきの 小島(こじま)に 我(われ)あり と 親(おや)にハ 告(つげ)よ 八重(やえ)のしほ 風(かぜ)」この 哥(うた)ハ 平判官康頼入道(へいはんぐわんやすよりにふどう)。 鬼界(きかい)が 島(しま)に 滴(なが)されて 彼所(かしこ)にて 詠(よめ)るにて。すなハち源平 盛衰記(せいすいき)巻の七に 載(のす)るところなり〇 世俗(せぞく)に 龍宮(りうぐう)といふ ものハ 海龍神(わだつミのかミ)の 都(ミやこ)する 処(ところ)にて。 洋中波底(ようちうはてい)。 別(べち)に都あり と思へるハ 誤(あやまり)也《割書:此事すでに 謝在杭(しやざいこう)が| 五雜俎(ござつそ)にも 論破(ろんは)せり》 則(すなハ)ち 琉球(りうきう)と龍宮(りうぐう)と 同音(どうおん) なるが 故(ゆへ)にかくハ 成(なり)もて 来(きた)るもの也。 又(また)琉球 国(こく)の 王宮(わうぐう)に。 龍宮城(りうぐうぜう)といへる 額(がく)をかけたり。 又都(またミやこ)にハ 天竜地竜(てんりうちりう)の 社(やしろ) あり。 是(これ)を 天妃(てんはい)といふ。 今異国人(いまいこくびと)の 菩薩(ぼさ)と 唱(となふ)るものハ 是(これ)也 《割書:此方に 舟玉(ふなたま)明神とて舟の| 守護神(しゆごじん)とするも此神なり》されバ 神代(かミよ)にいへる 海宮(わだつミのみや)も。 浦島(うらしま)が 子(こ)の 龍宮城(りうぐうぜう)も。 俵秀郷(たはらひでさと)の 行(ゆき)たりといふ 竜宮(りうぐう)も 今俗(いまぞく)にいふ

現代語訳

流求と書く。元史には瑠求と書く。その後今の琉球の文字に改めた《中山伝信録には明の洪武年中に今の字に改めると記されているが、それは誤りで、それより前のことである》○ 往昔、我が国より琉球を呼んで「うるまの国」と言った。大弐の三位の狭衣に「右琉間の島」とあって、注釈に「うるまの島は琉球なり」とあることで明らかである。また千載集の歌に「おぼつかな うるまの島の人なれや 我が言の葉を知らず顔なる」とある。 また古くは「沖の島」とも呼んだ。その国の人も、自らその国を「おきの」とも言う。「薩摩潟沖の小島に我ありと親には告げよ八重の潮風」この歌は平判官康頼入道が鬼界が島に流されてそこで詠んだもので、すなわち源平盛衰記巻の七に載せるところである○ 世俗に龍宮というものは海龍神の都するところで、洋中波底に別に都があると思っているのは誤りである《この事はすでに謝在杭が五雑俎にも論破している》 すなわち琉球と龍宮とが同音であるが故にこのように成り立ってきたものである。また琉球国の王宮に「龍宮城」という額を掛けてある。また都には天竜地竜の社がある。これを天妃という。今異国人が菩薩と唱えるものはこれである《こちらでは船玉明神として船の守護神とするのもこの神である》 それゆえ神代に言う海宮も、浦島子の龍宮城も、俵秀郷が行ったという竜宮も今俗に言う

英語訳

it was written as Liuqiu. In the Yuan History it is written as Liuqiu. Later it was changed to the current characters for Ryukyu 《The Chuzan Denshin-roku records that the characters were changed to the present ones during the Hongwu era of the Ming, but this is an error—it happened before that time》○ In ancient times, our country called Ryukyu "Uruma no Kuni" (Country of Uruma). In the Sagoromo by Daini no Sanmi, there is "Migi Ryuma no Shima" (Right Ryuma Island), with a note saying "Uruma no Shima is Ryukyu," making this clear. Also in the Senzai-shū there is a poem: "How uncertain—are you a person from Uruma Island? You show no recognition of my words." It was also anciently called "Oki no Shima" (Offshore Island). The people of that country also call their own country "Okino." "Tell my parents that I am on a small island off Satsuma Bay, across the eightfold tidal winds." This poem was composed by Taira Hangwan Yasuyori Nyūdō when he was exiled to Kikaigashima, and it appears in volume seven of the Genpei Seisuiki ○ What the common people call the Dragon Palace is the capital of the sea dragon god, but it is an error to think there is a separate capital at the bottom of the ocean waves 《This matter has already been refuted by Xie Zaihang in his Wuzazu》 That is, because Ryukyu and Dragon Palace have the same sound, this belief has developed. Also, in the royal palace of the Ryukyu Kingdom, there hangs a plaque reading "Dragon Palace Castle." Also in the capital there is a shrine to the Heavenly Dragon and Earthly Dragon. This is called Tenpi. What foreigners now call Bodhisattva is this deity 《Here it is also this god that we call Funatama Myōjin, the guardian deity of ships》 Therefore, the sea palace spoken of in the age of gods, the Dragon Palace Castle of Urashima's child, and the dragon palace that Tawara Hidesato is said to have visited are what people today call