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はざる也
弟 第九のあるちいごさんとす達つうよう
し給ふとは何たる事ぞ
師 をの〳〵きりしたん此ゑけれじやの
めんほろなれはたがひにひいですさから
めんとすの功力のつうようありと云心也
又天に座御【注】ますさんとす達もふるかと
うりよの人数も此ゑけれじやのめん
ぼろすなりし人なれば是にもつうよう
有とし奉る心也其故は御主ぜずきりしと
ならびにべあと達其御とりあはせのおら
しよと其御功力を我等にほどこし給ひ又我
等がおらしよもとふらひの功力等をもふるか
とうりよのあにまにたむけ奉る故也
【注 「座御ます」は「御座ます」の誤ヵ】
【キリシタン関連資料ドチリナ・キリシタン44コマを参考にした】
現代語訳
ないのでございます。
弟子:第九の、聖人たちが通用し給うとは何たることでしょうか。
師:おのおののキリシタンはこのエケレジアのメンボロ(肢体)であるから、互いにフィーデス(信仰)やサクラメント(秘跡)の功力の通用があるという心でございます。また天におわします聖人たちも、プルガトリウム(煉獄)の人々も、このエケレジアのメンボロスであった人であるから、これにも通用があると申し上げる心でございます。その故は、御主イエス・キリスト並びにベアト(福者)たちが、その御とりなしの祈りとその御功力を我らに施し給い、また我らの祈りも、施しの功力なども、プルガトリウムのアニマ(霊魂)に捧げ奉る故でございます。
英語訳
弟子:What does it mean that the saints of the ninth [article] have communion with us?
師:Since each Christian is a membro (member) of this Ecclesia, there is communion in the power of fides (faith) and sacraments among one another. Also, the saints who reside in heaven and the people in Purgatorio (Purgatory) were once members of this Ecclesia, so we believe there is communion with them as well. This is because our Lord Jesus Christ and the beatos (blessed ones) bestow upon us their intercession and their merits, while our prayers and the power of our charitable works are offered to the anima (souls) in Purgatorio.