← 前のページ
ページ 70 / 202
次のページ →
翻刻
まじきや
師 其儀にあらずわが☩ぼろしものちじよ
くをゆるさぬほとのけんどんなる人な
りと云とも此おらしよを申事専要也其
ゆへは此おらしよを以て人に対してのい
こんをすつる為の御かうりよくなるが
らさをこひ奉るによて也其上☩さんたゑ
けれじやの御子と申奉る善人達人よ
りかけたるちじよくをゆるし給ふことく
われらが科をゆるしたまへと申心なれ
ば右のおらしよを申上る事もわが身
のあたとなるにはあらず
弟 第六ケ条には何事をとこひ奉るぞ
師 てんたさんにさしはなしたまはざれ
現代語訳
...いけないのでしょうか。
師 そうではありません。我が隣人の屈辱を赦さないほどの頑固な人であっても、この祈りを申すことは重要です。その理由は、この祈りによって人に対しての恨みを捨てるための御恩寵と力をお願い申し上げるからです。その上、聖なる教会の御子と申し上げる善人たちが人からかけられた屈辱をお赦しになるように、我らの罪をお赦しくださいと申す心なので、右の祈りを申し上げることも我が身の害となるものではありません。
弟子 第六ヶ条には何事をお願い申し上げるのでしょうか。
師 誘惑にお陥れにならないでください...
英語訳
...would it not be appropriate?
Master: That is not the case. Even a person so stubborn as to not forgive the humiliation from their neighbors should recite this prayer, as it is essential. The reason is that through this prayer, we ask for the grace and strength to abandon resentment toward others. Moreover, since the intention is to ask "Forgive our sins just as the good people who are called children of the holy Church forgive the humiliation inflicted upon them by others," reciting this prayer does not bring harm to oneself.
Disciple: What do we ask for in the sixth article?
Master: Lead us not into temptation...