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ゝ右丁】
気血(きけつ)をして乱(みたれ)しむへからずといへり飲(のみ)て身体(しんたい)の温(うん)
熱(ねつ)するは気(き)の乱(みたる)るなり紅潮(こうてう)面(おもて)に上(のほ)り色(いろ)に出(いて)て赤(あか)く
なるは血(ち)の乱(みたる)るなりかくのこときは醉(ゑひ)といふなり醉(ゑひ)と
いふは気血(きけつ)の乱(みたる)るなりされは飲(のみ)て少(すこし)も醉(ゑひ)を覚(おほゆ)る
は乱(らん)に及(およは)ずとは云(いひ)がたし彼(かの)醉(ゑひ)て言語(けんぎよ)を乱(みたり)威儀(ゐぎ)
を乱(みたる)のみを乱(らん)に及(およふ)とは云(いふ)へからすされは人々(ひと〳〵)の分量(ふんりやう)
に随(したかひ)て百盞(ひやくさん)にして醉者(ゑふもの)は十盞(しつさん)にして止(やみ)十盞(しつさん)にして
醉者(ゑふもの)は一二盞(いちにさん)にして止(やみ)ぬへくは醉(ゑひ)を為(なす)に至(いたら)ずして
害(かい)する事も有(ある)ましきなり或(あるひ)は大(おほい)に飲(のむ)といへども
【左丁】
少(すこし)も醉(ゑひ)を覚(おほへ)ざる者(もの)あり是 殊(こと)に剛実(かうしつ)の人(ひと)能(よく)其(その)毒(とく)
に堪(たへ)たるなりかゝる人(ひと)は当時(たうし)に苦(くるしむ)所なきゆへに多(おほく)は
皆(みな)過度(くはと)するに至(いたる)なり是等(これら)の人(ひと)は病(やまひ)を為(なす)に至(いたり)ては其
害(かい)殊(こと)に甚(はなはた)し朱子(しゆし)は醉(ゑひ)を以(もつて)節(せつ)と為(す)と云(いふ)といへとも
是は大法(たいはふ)を説(とき)たるなり養生(やうしやう)の道(みち)に至(いたり)てはさるへからす
酒(さけ)は只(たゝ)醉(ゑは)ざるを度(ど)と為(す)と云(いふ)へき事なりとこそお
ぼゆれ或(あるひ)は元来(くはんらい)酒量(しゆりやう)の多(おほき)人(ひと)の上(うへ)にても亦(また)時(とき)により所(ところ)
に随(したかひ)ては多少(たせう)の同(おなし)からさる事 有(ある)へし昔(むかし)斉(せい)の威王(ゐわう)其(その)
門客(もんかく)淳于髠(しゆんうこん)に問(とひ)て先生(せんせい)酒(さけ)を飲(のむ)事 幾(いくはく)にてか醉(ゑふ)にやとの
現代語訳
【右丁】
気血を乱してはならない」と言っている。飲んで身体が温熱するのは気が乱れることである。紅潮が顔に上り、色に現れて赤くなるのは血が乱れることである。このようなことを酔いという。酔いというのは気血が乱れることである。したがって飲んで少しでも酔いを覚えるのは「乱に及ばず」とは言い難い。あの酔って言語を乱し威儀を乱すことのみを「乱に及ぶ」とは言うべきではない。したがって人それぞれの分量に従って、百杯で酔う者は十杯で止め、十杯で酔う者は一、二杯で止めるべく、酔いに至らずして害することもないであろう。あるいは大いに飲むといえども
【左丁】
少しも酔いを覚えない者がある。これは特に剛実の人がよくその毒に堪えたのである。このような人は当時に苦しむ所がないゆえに多くは皆過度するに至るのである。これらの人は病気になるに至ってはその害が特に甚だしい。朱子は「酔いを以て節とする」と言うといえども、これは大法を説いたものである。養生の道に至ってはそうあるべきではない。酒はただ酔わないことを度とすると言うべきことであると思われる。あるいは元来酒量の多い人の上でも、また時により所に従っては多少が同じでないことがあるであろう。昔、斉の威王がその門客淳于髠に問うて「先生が酒を飲むことはどのくらいで酔うのか」との
英語訳
【Right page】
one must not let the qi and blood become disordered." When drinking causes the body to become warm, this is the qi becoming disordered. When flushing rises to the face and appears in one's complexion, turning it red, this is the blood becoming disordered. Such a condition is called intoxication. Intoxication means the qi and blood becoming disordered. Therefore, if one feels even slightly intoxicated when drinking, it can hardly be said to "not lead to disorder." One should not say that only when one becomes drunk and disrupts speech and proper behavior does it "lead to disorder." Therefore, according to each person's capacity, those who become drunk after a hundred cups should stop at ten cups, and those who become drunk after ten cups should stop at one or two cups, so as not to reach intoxication and avoid harm. Some, however, even when drinking heavily,
【Left page】
feel no intoxication at all. These are particularly robust people who can well withstand the poison. Such people, having no immediate suffering, mostly all end up drinking excessively. When these people do fall ill, the harm is particularly severe. Although Zhu Xi said "use intoxication as the limit," this was explaining a general principle. When it comes to the way of health preservation, this should not be the case. Regarding alcohol, one should say that not becoming intoxicated should be the measure. Even for those who naturally have a high tolerance for alcohol, there will be times and circumstances when the amount varies. Long ago, King Wei of Qi asked his retainer Chunyu Kun, "How much does the master drink before becoming intoxicated?"