翻刻!江戸の医療と養生

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酒説養生論 7巻 - 翻刻

酒説養生論 7巻 - ページ 82

ページ: 82

翻刻

【右丁】 寿(いのちなか)けれは辱(はぢ)多(おほし)とは彼(かの)荘子(さうじ)の寓言(ぐうげん)なるをや大抵(たいてい) 長寿(ちやうしゆ)高年(かうねん)の人(ひと)は多(おほく)は飲(のま)ざる人(ひと)にあり明医(めいい)類案(るいあん) に五湖漫聞(ごこまんふん)を引(ひき)て張翁(ちやうおう)と云人百十三歳 王瀛洲(わうゑいしう)は 百三十歳 毛間翁(まうかんおう)は百三歳 揚南峰(やうなんほう)は八十九 歳(さい)沈石(ちんせき) 田(てん)は八十四 歳(さい)呉白楼(こはくろう)は八十五歳 毛礪菴(まうれいあん)は八十二歳 此(この)諸公(しよこう)老(おひ)に至(いたり)て精敏(せいひん)衰(おとろへ)ず升降(のほりくたり)も儀(ぎ)のことくなり 是を問(とへ)は皆(みな)酒(さけ)を飲(のま)ず文衡翁(ぶんかうおう)施東岡(しとうかう)葉如巌(せつしよかん)と云 人も八十九十の耋耄(てつぼう)に至(いたり)て動静(どうせい)壮年(さうねん)に異(こと)なら ず亦(また)酒(さけ)を飲(のま)ず是 酒(さけ)の沈湎(ちんめん)すべからざるを見つへ 【左丁】 しといへり昔(むかし)もさこそは有つらめ今(いま)の世(よ)にも過(すき)し ころ或(ある)八十 有余歳(ゐうよさい)の老人(らうしん)我(われ)に酒(さけ)に中(あたら)さるの妙術(めうしゆつ) ありと常(つね)に云(いひ)ける人(ひと)あるにそれはいかなる事にかと 度々(たひ〳〵)問(とひ)けれとも云(いは)さりけるを或時(あるとき)強(しゐ)て是を求(もとめ) けれは此 老人(らうしん)の云けるは我(われ)壮年(さうねん)の時(とき)大(おほひ)に飲(のみ)て 中事(あたること)止(やま)ず是を苦(くるしみ)て医(い)に憑(より)人(ひと)に問(とひ)て服薬(ふくやく)奇術(きしゆつ) 千計(せんけい)万方(はんはう)むなしき日(ひ)なしされとも中事(あたること)止(やま)ず して終(つい)に大病(たいひやう)を為(なし)て危(あやう)きに至(いたる)されとも年(とし)の壮(さかん) なるに因(より)て辛(からう)して治(ち)する事を得(え)たり然(しか)りしより

現代語訳

【右丁】 「寿命が長ければ恥が多い」というのは、あの荘子の寓言である。大抵、長寿で高齢の人は多くは飲酒しない人である。『明医類案』に『五湖漫聞』を引用して、張翁という人は百十三歳、王瀛洲は百三十歳、毛間翁は百三歳、揚南峰は八十九歳、沈石田は八十四歳、呉白楼は八十五歳、毛礪菴は八十二歳。これらの諸公は老年に至っても精神が敏捷で衰えず、階段の昇り降りも儀式のように正しくできた。これを尋ねると皆酒を飲まない。文衡翁、施東岡、葉如巌という人も八十九十の高齢に至って動静が壮年と変わらず、また酒を飲まない。これは酒に溺れるべきでないことを示している。 【左丁】 と言っている。昔もそうであっただろうし、今の世にも過ぎし頃、ある八十余歳の老人が私に「酒に中毒しない妙術がある」と常に言っていた人がいた。それはどのようなことかと度々尋ねたが言わなかったのを、ある時強いてこれを求めたところ、この老人が言うには「私は壮年の時大いに飲んで中毒することが止まず、これを苦しんで医者に頼り人に問うて服薬・奇術・千計万方、無駄な日はなかったが、中毒することは止まずついに大病となって危険に至った。しかし年が壮健であったため、辛うじて治ることができた。それ以来