翻刻
産物此所より出るよしに承り候此道中筋には稀(マレ)なる繫花の
地なり
一大なる鐘(ツキカネ)有り口にてのさし渡し四間程有り又此地に大なる石火矢
有り口のさし渡し六尺程長さ弐間ほと有り此石火矢の事様子有之
様に承り申し候得共不覚之夫れより此所を出立也
一ビゼリボロカ 都なり
此所は帝王の住給う都町数千五六百町も可有之哉江戸半分位と
見請申し候帝王の屋形は城(シロ)のよふにも見へす堀(ホリ)■(ヘイ)もなく町家の
表通り平地に有り弐丁四方の屋形にて五 階(ガイ)作り也五階まて登る
には栄螺堂(サヾイタウ)を廻り申様に段々とくるり〳〵と廻り候得はいつとなく
五階まて登る也先最初は万国の人間の木像(モクゾウ)をきざみ其国々の
風にきざみ並べ置く事其数をしらす日本人の木像には百三拾年
以前に陸奥の国気仙郡の漁師吹 流(ナガ)されヲロシヤ国へ漂着(ヒヤウヂヤク)いらし数
拾年ヲロシヤ国に住居して終(ツイ)に此国に一生滞(トヾマ)り妻子を持一生をくらし
其家跡今に残りしよし此者の木像はやはり日本人のやうに木像を
きさみ置也横さしを着せ丸にけんかたばみ五前紋を付日本ゟ吹流され
候節着用の衣類と見受申し候私とも見候まてに百三拾年之由日本の
暦代(レキダイ)にては寛文二寅年の漂流(ヒヤウリヤウ)人と相見得申し候夫より二重目へ
登り申し候得は是も万国の大王の木像也其御装束光りかゝやきて
其美々敷事あけてかぞへかたし其続きに寺壱ヶ寺有是は帝王の