翻刻
一此所へ辰ノ六月五日に着す家数弐千四五百軒程有り家作同断也食物にはヲボウ
ツカより少々能候是も大麦小麦を食る也此所にて水主市五郎病死す此地に
葬也縦死たり共 夢(ユメ)にたもみす噺にも聞かたる庚の国に死骸(シガイ)捨む事
いと哀に思ひ又我々も斯死て此所の土とならん事を思ひ出しうたて
くもかなしく我身〳〵の事と是を愁(ウレイ)ひ皆一同に声を上けて歎(ナゲ)き
ける此所の人々も言葉はわからねと其情を考してや友に袖をぬらして
哀なる事とも也此所に壱ヶ月ほと逗留して同年七月五日に
出立也此□中は村々多く宿■にて通る也此村々の内にトノコウス
アゴウチナイといふ人々之住所も有此人々の姿形共にヲロシヤ人の
よふにあらす大に別也衣類は獣の皮也此道中私共そりと云乗物に
乗り馬に引せ通る也道法弐千五百程有村々多けれは委敷事を不覚也
一イリカウツカ
一此所へ辰□月廿四日に着すヲロシヤの支配にして代官住す家数三千四五百
軒ほと有在所なれとも繁花の地也私とも拾四人代官ゟ被仰付日本の
通使する人の所に居候此所へ着則代官所より私とも壱人え壱ヶ月分扶持方
として金三枚も被下其外に拾四人え不残衣類ども被下候也其衣類ビロウト
ラシヤ何も縫詰(メイツメ)也 扶持(フジ)方は八ヶ年被下候事
一食物は大麦小麦の粉を餅に致朝夕是を用 菜物(サイブツ)はブタピツチ魚の
類塩にて煮ブタ油をさし是にて塩□して喰也朝夕餅計喰う時は
椀を不用手の平(ヒラ)にむて喰也又魚 獣(ケダモノ)の類を喰節は椀を用膳は