伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 1

無足廃家(弐) - 翻刻

無足廃家(弐) - ページ 16

ページ: 16

翻刻

  之通 一 文化十五寅四月十五日年来儒学心懸   御方々様江御素読申上毎度罷出講釈等   出精相勤候付格別を以此度給人並被成下   近勤方是迄之通 一 文政二卯九月廿五日三俵御加増高三拾   五俵 ̄ニ被成下 頼寧君御代 一 同六未十月三日老衰仕近年眼等薄   罷成候付御役 御免被成下候様願書   差出候処年来御祐筆頭取相勤万端心得   罷在候付御差留依之御進達物調筆之   儀者御用捨御用部屋之義者是迄之通 一 同七申正月十五日御普請奉行添役被   仰付御祐筆頭取是迄之通兼帯被   仰付席之儀者給人御役人末席給人並者   只今迄之通 一 同九戌五月廿八日御使番格次席被   仰付給人並其外是迄之通 一 同十亥七月八日御人少ニ付御取次助勤被   仰付其外勤方是迄之通御普請奉行   添役数年壱人勤之処出精相勤太儀   思召候 一 同十一子九月九日 御家譜書継認方相   勤候ニ付御金弐百疋被下之 一 天保二卯八月十五日勤向繁多之処目次   講釈出精相勤 上御聴之節茂毎度   罷出且門弟共儒学取立之義年来骨折   追々上達之向茂有之段達   御聴候処一段之儀太儀 思召候依之御紋付   麻御上下被下之 一 同六未十一月十五日御普請奉行添役無滞   御免其外是迄之通数年相勤太儀 思召候 一 同十一子六月十六日 御領知百五拾年之   御祝ニ付勤仕五拾年余無懈怠相勤候付   為御祢美御金弐百疋被下之

現代語訳

の通り 一 文化十五年寅(1818年)四月十五日 年来儒学に心がけ   御方々様へ御素読を申し上げ、度々罷り出て講釈等   出精して勤めた付き、格別をもって今度給人並びに成し下され   近勤方これまでの通り 一 文政二年卯(1819年)九月二十五日 三俵御加増、高三十   五俵に成し下される 頼寧君御代 一 同六年未(1823年)十月三日 老衰いたし近年眼等薄く   罷り成った付き、御役御免を成し下されるよう願書を   差し出したところ、年来御祐筆頭取を勤め万端心得   罷り在る付き御差し留め、これにより御進達物調筆の   儀は御用捨、御用部屋の儀はこれまでの通り 一 同七年申(1824年)正月十五日 御普請奉行添役を   仰せ付けられ、御祐筆頭取これまでの通り兼帯を   仰せ付けられ、席の儀は給人御役人末席、給人並びは   只今までの通り 一 同九年戌(1826年)五月二十八日 御使番格次席を   仰せ付けられ、給人並びその外これまでの通り 一 同十年亥(1827年)七月八日 御人少ないにつき御取次助勤を   仰せ付けられ、その外勤務方これまでの通り、御普請奉行   添役数年一人勤めのところ出精して勤め大儀と   思し召される 一 同十一年子(1828年)九月九日 御家譜書継ぎ認め方を   勤めたにつき御金二百疋を下される 一 天保二年卯(1831年)八月十五日 勤務向き繁多のところ、目次   講釈出精して勤め、上御聴きの節も度々   罷り出で、かつ門弟共儒学取り立ての儀、年来骨折り   追々上達の向きもこれ有りの段   御聴きに達したところ一段の儀大儀と思し召され、これにより御紋付   麻御上下を下される 一 同六年未(1835年)十一月十五日 御普請奉行添役滞りなく   御免、その外これまでの通り、数年勤め大儀と思し召される 一 同十一年子(1840年)六月十六日 御領知百五十年の   御祝いにつき勤仕五十年余怠りなく勤めた付き   御褒美として御金二百疋を下される