琉球・沖縄の世界を翻刻する

コレクション: ハワイ大学所蔵 阪巻・宝玲文庫 vol. 1

琉球入貢紀略 - 翻刻

琉球入貢紀略 - ページ 14

ページ: 14

翻刻

 云(いは)く、この国(くに)人(ひと)を食(くら)ふところなり悲(かなしい)かな此(こゝ)にして  命(いのち)を失(うしなひ)てんとすと、和尚(をしやう)これを聞(き)【ママ】て忽(たちまち)に心(こころ)至(いた)し  て不動尊(ふどうそん)を念(ねん)じ給ふ、《割書:三善清行(みよしのきよつら)が撰(えら)みし|伝(でん)にもおなじ趣なり》といへり、  これや琉球国(りうきうこく)の名(な)、吾邦(わがくに)の書籍(しよじやく)に見えたる始(はじ)  めならん、さてこゝに琉球(りうきう)は人(ひと)を食(くら)ふの国(くに)といへ  るも、もとより伝説(でんせつ)の訛(あやま)りながら、またその拠(よる)と  ころなきにあらず、隋書(ずゐしよ)に国人(コクジン)好相(アヒコノンデ)攻撃(コウゲキス)【左注「タヽカフ」】云々、取(トリテ)_二  闘死者(タヽカヒシスルモノヲ)_一共(トモニ)聚而(アツマリテ)食(クラフ)_レ之(コレヲ)とあるをおもへば、唐土(たうど)にて  ふるくより、琉球(りうきう)は人(ひと)を食(くら)ふよしいひ伝(つた)へしを、吾邦(わがくに)  にもかたり伝(つた)へしなるべし、これによりてもその  国(くに)吾邦(わがくに)には近(ちか)けれども、絶(たえ)て往来(わうらい)せざることを  知(し)るべし、   琉球国(りうきうこく)薩摩(さつま)の附庸(ふよう)となる 足利義満(あしかゞよしみつ)の男(なん)、大覚寺(だいかくじ)門跡(もんぜき)義昭(きせう)大僧正(だいそうじやう)、逆意(ぎやくい)の企(くわだ) てありて九州(きうしう)へ下(くだ)りたまふが、その事(こと)露顕(ろけん)し ければ、日向国(ひうがのくに)福島(ふくしま)の永徳寺(えいとくじ)に落下(をちくだ)り、野武士(のぶし)の者(もの) ども御頼(おんたの)み隠(かく)れ住(す)み給ひけるに、足利義教(あしかゞよしのり)これを 聞(きこ)し召(め)しつけられ、薩州(さつしう)の大守(たいしゆ)島津陸奥守(しまづむつのかみ)忠国(たゞくに)へ

現代語訳

「この国は人を食べる所です。悲しいことに、ここで命を失うことになりそうです」と言った。和尚(智証大師)はこれを聞いて、たちまち心を集中して不動尊を念じられた。《割書:三善清行が著した伝にも同じような内容がある》と述べられている。 これが琉球国の名が我が国の書籍に現れた最初ではないだろうか。さて、ここで琉球は人を食べる国だと言われているのも、もとより伝説の誤りではあるが、また根拠がないわけではない。隋書に「国人相い好んで攻撃し(戦う)云々、戦死者を取りて共に集まりてこれを食らう」とあるのを思えば、中国で古くから琉球は人を食べると言い伝えられていたのを、我が国でも語り伝えたのであろう。これによっても、その国は我が国には近いけれども、まったく往来しなかったことを知ることができる。 琉球国が薩摩の附庸となる 足利義満の男子で、大覚寺門跡義昭大僧正は、謀反の企てがあって九州へ下られたが、その事が露見したので、日向国福島の永徳寺に落ち延び、野武士たちを頼って隠れ住んでおられた。足利義教がこれをお聞きになられて、薩摩国の大守島津陸奥守忠国へ

英語訳

"This country is a place where people eat people. Sadly, I am about to lose my life here," he said. The monk (Chishō Daishi) heard this and immediately concentrated his mind and invoked Fudō-son. {{Marginal note: The biography written by Miyoshi no Kiyotsura contains the same content}}, it is stated. This may be the first appearance of the name "Ryukyu Kingdom" in our country's literature. Now, although Ryukyu is described here as a country where people eat people, this is naturally a legendary error, yet it is not without basis. Considering that the Book of Sui states "The people of the country like to attack each other (fight), and they take those who die in battle and gather together to eat them," it seems that the tradition that Ryukyu was a place where people ate people had been passed down in China since ancient times, and this was also transmitted in our country. From this, we can understand that although that country was close to ours, there was absolutely no intercourse between them. Ryukyu Kingdom Becomes a Dependency of Satsuma Ashikaga Yoshimitsu's son, Gisho Daisojo, the Monzeki of Daikakuji Temple, had treasonous plans and went down to Kyushu, but when this matter was exposed, he fled to Eitokuji Temple in Fukushima, Hyuga Province, and lived in hiding relying on rogue warriors. When Ashikaga Yoshinori heard of this, he [commanded] Shimazu Mutsunokami Tadakuni, the great lord of Satsuma Province,