翻刻
事をかなしみてみつからその禍にkにかはりけるこそ
あはれなれ文禄のはしめ 朝鮮の事起り隆景彼国に
渡り王城の一戦に大明の李如松をうち破り又晋州の
城を攻おとす其□賞に従三位の中納言して慶長
二年六月十二日とし六十三歳にて卒しぬ秀秋隆景
か家を継て中納言になさる《割書:秀秋を金吾中納言といひしは|左衛門督子たるによるともいふ》
《割書:又秀秋も元左衛門督たりし故にはしめより|金吾殿といひしともいふ後の説しかるへき》 此とし二月いまた
隆景か卒せさりし うち秀秋十六才にして朝鮮を
うたれん大将軍を承て宗徒の大名あまた引くし
都合其勢十六万三千人五月廿二日大坂をたつて同七月
二日朝鮮におし渡り釜山城に入明れハ 慶長三年
正月四月蔚山のうしろまきしまつたきに進み秀秋
かねにかけて馬武者 十三騎切ておとすおよそ討取所
の首一万三千八百三十八太閤に献る此使者同き月廿四日
伏見の城にはせ集る太閤軍のやうを聞召て 御感な□め
ならす石田治部少輔 三成ひそかに申けるハ金吾殿の御ふる
まひゆゝしくも聞えさせ給ふたりなかりなからすてに御代官として
むかハせ給ひし御身のみつから釜山城を出給ひふかくてきの
中に入て戦はせ給し事の躰軽首にこそ存すれ敵もし其
隙を伺ふて釜山城を攻取て候はんnには本願の通路自由