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なるへからすこの後はかゝる御ふrふるまひしかるへからさる旨を仰下
さるへ□もや候と申けれは太閤けにもと思召御帰気色
にて秀秋の功を賞し給はす 秀秋太閤の仰かう
ふりて城を築く事九ヶ所軍勢をこめおきて同き
十一月十七日釜山港に 船をうかめ四月四日大坂につき
明れは五日伏見の城に参候間秀秋にしたかふ所の七人
の軍奉行并に加藤左馬助嘉明おなしく参る伏見に
あかあふ大名こと〳〵く参りつとひ秀秋の凱陣を賀し
申さる太閤やかて御出ありて御対面終てのち太田
飛騨守一吉秀秋の軍し給ひしやう一々に陣て感し
申す太閤いや〳〵大将軍のみつから諸軍と功を争ひかろ
〳〵しき軍せん事しかるへからす 我秀秋をさしむけし
事かへす〳〵も後悔におもひきと仰らる秀秋聞□
あへすよのつねの御使ならんには幼弱の身なと
辞し申まてはあるへき追討の御使なればこそ
仰をは承れしかるに今人々聞たまふ所にて御後
悔の旨を承るこそ口惜しけれ秀秋府不覚の事あらん
には軍奉行の人々たゝ今御前にてまつすくに申し
すみやかに秀秋首をめされて 御憤を散せられん
やうにはからふへしとおし返し〳〵申されしかは