伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(十二・上) - 翻刻

藩翰譜(十二・上) - ページ 15

ページ: 15

翻刻

秀秋みつから三成か首きつて後内府の仰にこそ 任せ候はめと申さる徳川殿も今は仰らるへきやうもなく 杉原山口をひそかにめされまつ家人少々越前国に 下さるへしと仰けれは外様の侍少々□さし下す かくて徳川殿 大納言利家と共に秀秋の秋の事御なけ ききあらんとありしかとも利家辞し申さる徳川殿は 日々に太閤に参り給ひ仰出さるゝ旨もなし太閤いか にかくは毎日見元給ふやらんと仰けれは秀秋の国移 されん事いたはしう覚て此よし申さんとて参り候へ とも元こそ申越され侍らねとこたへたまひてその 後も日毎に参り給へへは太閤又初めことく 仰けれは 徳川殿のこたへ給ふやうも初のことく 成しに太閤 さほとに思ひたまはんには内府のはからひに任せ参らす へしと仰けれは 徳川殿よろこはせ給ひて 秀秋の許 にむかひたまひ杉原山口めして越前に下りし侍 ともめしかへさる《割書:此時秀秋には 越前北庄の 地十六万石を|たふ□し山口には別に 加賀国大聖寺の城を》 《割書:給て秀秋のうしろ見すへしとありしこれによつて秀秋元の|まゝに筑前を領しけれとも 山口は此時より太閤の御家人になされし也》 ほとなく六月二日に徳川殿秀秋とうちつれ参らせ 給へは太閤御対面あつて餐宴の儀事終り秀秋 に物多く給ひ《割書:安宅貞宗の脇刀 大般若|□子等の茶台□二連黄金千町なり》徳川殿へも