翻刻
秀秋みつから三成か首きつて後内府の仰にこそ
任せ候はめと申さる徳川殿も今は仰らるへきやうもなく
杉原山口をひそかにめされまつ家人少々越前国に
下さるへしと仰けれは外様の侍少々□さし下す
かくて徳川殿 大納言利家と共に秀秋の秋の事御なけ
ききあらんとありしかとも利家辞し申さる徳川殿は
日々に太閤に参り給ひ仰出さるゝ旨もなし太閤いか
にかくは毎日見元給ふやらんと仰けれは秀秋の国移
されん事いたはしう覚て此よし申さんとて参り候へ
とも元こそ申越され侍らねとこたへたまひてその
後も日毎に参り給へへは太閤又初めことく 仰けれは
徳川殿のこたへ給ふやうも初のことく 成しに太閤
さほとに思ひたまはんには内府のはからひに任せ参らす
へしと仰けれは 徳川殿よろこはせ給ひて 秀秋の許
にむかひたまひ杉原山口めして越前に下りし侍
ともめしかへさる《割書:此時秀秋には 越前北庄の 地十六万石を|たふ□し山口には別に 加賀国大聖寺の城を》
《割書:給て秀秋のうしろ見すへしとありしこれによつて秀秋元の|まゝに筑前を領しけれとも 山口は此時より太閤の御家人になされし也》
ほとなく六月二日に徳川殿秀秋とうちつれ参らせ
給へは太閤御対面あつて餐宴の儀事終り秀秋
に物多く給ひ《割書:安宅貞宗の脇刀 大般若|□子等の茶台□二連黄金千町なり》徳川殿へも