伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(十二・上) - 翻刻

藩翰譜(十二・上) - ページ 20

ページ: 20

翻刻

国《場所:宇土》の一揆を平け十八年関東の軍に《場所:韮山》の城せめやふり 文禄の初朝鮮におし渡て外国に名を振ひ《割書:初諸軍勢王城に|ありて大明朝鮮の》 《割書:兵と戦し□そ正則□山の城にあり外国の人いかにつたへきゝけん|正則は関白の叔父なれはかれをたにうちなは軍にかつ事を行へし》 《割書:とて三度まて攻来りしをうち|やふりしかは其後はあへて近つかすと云》文禄四年七月関白秀次の御事 ありし後《場所:尾張国清洲》の城に移り《割書:二十|万石》又四位の侍従になされ 羽柴の氏をゆるさる慶長三年八月太閤薨し給ひて のち徳川殿の御養君を《割書:松平因幡守康元の娘|にて徳川殿の御外孫也》正則か嫡男刑部 少輔正之の妻に定られしより事起りて《場所:大坂》の奉行等 加賀大納言利家を進めて徳川殿をうしなひ参らせんとす 《割書:これ奉行等とはかり給はて私に組合|られし事をとゝめしとなり》正則御方として最初に 徳川殿の御館に馳参り程なく事平きし後正則等 又石田治部少輔 三成をうたんとせしに徳川殿の 中やはらけ給ひしによつて事又たいらきぬ明れは 慶長五年秋徳川殿奥の上杉追討のため御下向ありし かは正則父子同く馳下りて《場所:下野国宇津宮》に陣とる 《場所:大坂》の奉行等か兵起りて上方又大にみたる徳川殿 東国下向の大名こと〳〵く《場所:小山》の御陣にめされ上方又 みたれぬと聞ゆ人々の家こと〳〵く《場所:大坂》にあり家康 此事をおもふに心くるしまして人々の心の内おもひ しりぬそも〳〵弓箭とる身のならひけふは みかたと