翻刻
国《場所:宇土》の一揆を平け十八年関東の軍に《場所:韮山》の城せめやふり
文禄の初朝鮮におし渡て外国に名を振ひ《割書:初諸軍勢王城に|ありて大明朝鮮の》
《割書:兵と戦し□そ正則□山の城にあり外国の人いかにつたへきゝけん|正則は関白の叔父なれはかれをたにうちなは軍にかつ事を行へし》
《割書:とて三度まて攻来りしをうち|やふりしかは其後はあへて近つかすと云》文禄四年七月関白秀次の御事
ありし後《場所:尾張国清洲》の城に移り《割書:二十|万石》又四位の侍従になされ
羽柴の氏をゆるさる慶長三年八月太閤薨し給ひて
のち徳川殿の御養君を《割書:松平因幡守康元の娘|にて徳川殿の御外孫也》正則か嫡男刑部
少輔正之の妻に定られしより事起りて《場所:大坂》の奉行等
加賀大納言利家を進めて徳川殿をうしなひ参らせんとす
《割書:これ奉行等とはかり給はて私に組合|られし事をとゝめしとなり》正則御方として最初に
徳川殿の御館に馳参り程なく事平きし後正則等
又石田治部少輔 三成をうたんとせしに徳川殿の
中やはらけ給ひしによつて事又たいらきぬ明れは
慶長五年秋徳川殿奥の上杉追討のため御下向ありし
かは正則父子同く馳下りて《場所:下野国宇津宮》に陣とる
《場所:大坂》の奉行等か兵起りて上方又大にみたる徳川殿
東国下向の大名こと〳〵く《場所:小山》の御陣にめされ上方又
みたれぬと聞ゆ人々の家こと〳〵く《場所:大坂》にあり家康
此事をおもふに心くるしまして人々の心の内おもひ
しりぬそも〳〵弓箭とる身のならひけふは みかたと