翻刻
帰ける《割書:按するに守殿 太閤の御養君たりし故正則 そのよしみを|思ひしにや 又守殿の御身天下の御大事あらんといひ》
《割書:しは守殿は御兄にて大□国家は御弟なれは徳川殿かくれさせ給はゝ|必天下の御あらそひあるへしと思ひしにや正則の心はかりかた》
《割書:き事|なり》同き八年二月 徳川殿 征夷将軍の宣蒙らせ
給ひし日正則四位の将になさる 同き七月右大将家
の《割書:大相国家此時|に右大将たり》姫君《場所:姫君》いらせ給ひし時上方の大名
こと〳〵くに起請文かきて秀頼公に参らすこれ正則
かはからひし所とそ聞えける同き十年五月右た大将家
将軍拝賀の御時大御所を都にわたらせたまひしかは
豊臣家に御対面のため 上洛の事 催させ給ひしに
浜殿御いきとをりふかくして豊臣家に御腹めさせ
御身もうせさせ給ふへしと 聞えて 《場所:京》《場所:大坂》の間 もつて
の外物さはかしく なるこれも上方の大名の中に内々
此よしを申すゝむる人ありと聞えし此程より 西海
南海 山陰山陽の 大名等城をたかふし池をふかふし
て戦艦おひたゝしう作り出す世の中なにニなく
さはかしくなりゆくに十二年の冬正則嫡子刑部少輔
犯疾出来ぬとて取て押込終に首を刎て その妻
徳川殿の御養君を返し参らす明れは十三年の春
豊臣家疱瘡煩はせ給ふと決て上方の大名忍ひ〳〵に《場所:大坂》
に馳来る中にも正則宛初に 馳来る十六年三月豊臣