翻刻
されて明日六年九月十四日に薨し正則かしこにある
事凡六年寛永元年四月十三日年六十四歳にて
死してけり《割書:正則国除かれし時の事後に中将直孝朝臣の語し|所を石谷将監貞清入道のしるせし詳也 此時迄には都に》
《割書:入らせ玉ひ正則は関東にとゝまるかくて藤堂和泉守《割書:高|虎》本多上野介 《割書:正|純》|同美濃守《割書:忠|政》酒井雅楽頭《割書:忠|世》土井大炊《割書:利|勝》安藤対馬守《割書:重|信》板倉伊賀守《割書:勝|重》》
《割書:駕をめして正則か国除かるへきのよし仰下さる七人の議申所異同|ありて事きれさる事四五日を軽て伊賀守はかりて掃部頭其年わかく|候へとも人の足跡踏みつへきものに あらす召るへしと申すその明けの日直孝|を召かゝれ大炊頭 仰によりて事の由をのへたり直孝か存する所聞召|さるへきよし仰ありしかは 人々の議にことなるへきにも候はすと申す|これと先その存する所を申へしと重て仰られしに及て 直孝存する所は|正則を都にめされて 罪を数へられて申披へき事 あらんには聞候召さる|へしもし又本国に罷下り可申へき旨あらんにはそれ又望に任らるへき|所也と仰下され候はん欤しからさらんには御使一両輩を関東に下され仰|伝へしめられ対押の事も候はんには 御留守にさふらふ人々して誅せら|れんにすくへからすと申高虎聞て直孝とわかく候ひて 古の小路|軍といふ事いまた存知仕りす 大きなる屋敷につはものあまた》
《割書:引こもりきつて出んは 仕にくれ 合戦なるものをと申 直孝聞も|あへすやめ御辺にはそれらの軍いつこにしてやしたまひたるらん|小路軍といふ事 昔にはきけと誰事軍せしと いふものを見す|昔《場所:駿河国》にして今川の 家人飯尾信濃守と いふものかたれ候時|その事あ申といひぬれと当時それらの軍せしと いふ事は聞えす|といふ先〳〵 それらの向対はしはらくおく明るまた議せらるへしと|仰ありて御いとまたまはり主計頭正就《割書:井|上》してひそかに直孝に 仰らるゝ|旨あり明るとく参るへき也さらは裏の御門より入来るへしとの御事|にて罷出つ此事決せすして同すてに久しく世に聞ゆる事もこそ何れ|我今其議に召加られて 人々の□うけん事しかるへからすとおもひ|其夜一紙の起請文を書て夜明るを侍て参る正就御門の内に立|むかへてみち引ゆき常の御所の□に 至る直孝袖の内より|起請文とり出し指の血そゝき正就してまいらすやかて御前にめされて|きのふ申せし所よべ又別におもふ所も 出来しにやと 仰らる昨日|申せしところの外存する旨も候はすとこたへ申すそのときに|我初よりおもふ所汝か申所のことくおの〳〵申所同しからねは事久|しく決せたり きけふは 汝の議せし所のことく事決しつへし その|旨を存へしと仰出されて罷出されて罷出てやかて又人々に随て参れり関東へ|の御使には 牧野右馬允《割書:忠|成》を下され花房志摩守を副らるかれら正則に|したしき輩也 もし事あらん時のためにものにこゝろえし ものとも|》