伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(十二・上) - 翻刻

藩翰譜(十二・上) - ページ 31

ページ: 31

翻刻

《割書:下されへきにtにて 久世三四郎 広宣坂部三十郎広勝に小栗又市|阿部四郎五郎 堀田勘左衛門 山田十大夫等の 御使番を副られし|也又ふるき人の申せしはこの時関東に は 松平 下野守 殿 蒲生殿|御事最上源五郎 義俊等の 大名とゝまりまもる正則かふるまひに|よつて彼館をせめらるへきよしを 仰下されしとも申す正則か館の|上愛岩の山の上には 久世坂部等をはしめとして御先手の人〳〵|鉄砲たてならへて彼館見おろし事おこらはたちまちに打やふるへき|あかさまなり御使の人々彼館にゆきむかふ正則仰の旨 承り|てやゝあつてのち大御所 世にまします時ならは正則 申へき事も|ありなまし 当代にむかひまいらせてなん事をか申へきとにも|かくにも仰にこそ したかふへけれとこたへ申けれは聞く人感涙|をそ催しける 大相国家も 此よしをきこしめされあはれるにや|おほしめされけん《場所:津軽》の地遠境なれはとて 《場所:信濃国川中嶋》に|安置せられ 《場所:越後》《場所:しなのゝ国》々にて 所領をたまふ又安藤対馬守|重俊永井左近大夫直勝御使を承て《場所:安芸国》に 向ひ正則か家人等に|すみやかに 国々をさけわたすへきよしを下知す 加藤左馬介 嘉明|木村美濃守忠政 本多美濃守忠政松平阿波守至鎮松平宮内少輔|忠雄生駒讃岐守 正俊松平土佐守忠義等軍勢を引くして彼国々に 向|て城々を請とらんとす 正則か家人等 路次まて使を出して正則つみ|かうふり領せし国々収公せらるへきよし謹て 承りぬそも〳〵此国々》 《割書:正則上より給る所也といへ共正則か 家人等は又正則か 命をうけて守る|所也しかるに今正則か命にあらすして国をさけ まいらせん事人臣|の道かゝるへからさるに 似たり詮すると ころ正則か 命をこふて彼|下知にしたかふへき所也と申けれは安藤永井申所その理ありとて|すみやかに此よしを正則か許につく正則みつから筆取てはやく其国々|さけわたしまいらすへきよしを下知しけれは家人等こと〳〵く国を|さる酒井宮内少輔 宗次本多縫殿頭康俊等 《場所:広嶋》の本城を守れは|本多美濃守 忠政第二の城をまもりて 国々の軍勢は引かへしぬ|世につたふ雑記等に此とき 大相国家の都にまし〳〵正則関東に|ありて御使を下され又かの 国へも御使ゆきむかへしといふ|事をしらす正則国にありしやうにしるせりあやまれる也又一説に|元和七年大相国家都にまし〳〵女御入御の御事ありし時の|事也としるせるもあれは元和五年の事たる事うたかふへからさる也|○又ある人の申せしに正則かもとへ御使にゆきむかひしは 鳥居|左京亮忠政この仰せをうけ給わり おのか家に帰りとも 人少々|引くしてかの館にむかふ供の侍ともに申せしは忠政おもふ所あれは|たとへ忠政命をおとす事ありとも□ひかまへて汝ら戦に及ふ事|あるへからすとかたくちかはせて ゆく正則に 対面して 仰の旨を|つたふ正則 やゝあつてこたへ申すへき事 あり しはらく まち|給へとて 内に入かの館のうちことの外に物さはかしくなりしかと》