伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(十二・上) - 翻刻

藩翰譜(十二・上) - ページ 32

ページ: 32

翻刻

《割書:忠政はたゝつねのけしきにてかの出居に居て正則か出て来るをまつ|二時はかりかのち正則 長袴を着て刀をも帯さすいとえなき娘|の手をたつさへて 出て来れる忠政に打むかひ正則かさしも当家には|忠あるものに侍れはいかなる事ありとも七代かうちはつみゆるさる|つき身の正則か一生のほとをたに過えすかゝる仰承るこそうら|めしけれされは正則か妻子等つ一々にさしころし主殿とさしちかへて|死なんすと思ひきわめすてに刀をぬきてまつかれらをころさんこと|する事にたひ百度におよへとも いつくに刀をたつへし共覚えす|此上は力なしとにもかくにも仰にこそしたかふへけれ年来の|なさけにかれらか事よきに 頼のまいらするにて候と申せし也|忠政はかくとりしつめたる人也けりといふ事を承りぬ此事いふかし|正則かもとへの御使牧野花房たる事すてに其時執政よりの奉書|案にも見へたり忠政か事見るところなしされとも 此時に下されし|奉書案を見るにはしめ《場所:津軽》の地にうつさるへきよしの奉書は|六月二日に下す所也 牧野花房を御使として下さるゝよしの奉書は|同き月九日に下す所也日をへたつる事すてに六日也 初下され候奉書|を帯してかの館にゆき向ひし人をしらす忠政此奉書を帯して|かの館にゆきむかひしにや又そのゝち《場所:越後》《場所:信濃》等の国にて所領給る由の|                御使あるへしかれらの御使に忠政行向ひ|しにやその時をさる事わつかに六十余年事のあきらかならさる事かく》 《割書:のことし/さ(こ)れ史官のそなはらさるに よるところ欤○ある記に 正則|かつみかうふりしは大御所の 御遺命也 正則当家に 大忠ありし事度々|におよひしかとその国中の士民等こと〳〵く虐政にくるしむ事|水火の中にあるかことしされはかゝる人を我に大忠ありとて私の|ために心ひかれ多くの 人の主たらしめんは天下をしるへき人の公の心|にあらすとあかし程に大相国家執政の人々にふたゝひ三たひはからせ|たまひ終に流刑に処せられしありかたき御心也けりとしるせりこれ|世の人信し用ゆる事也両御所の正則か旧功をわすれさせたまひて|つみに処せられしとのちの世にそしりまいらせん事をい□は□り|て正則か事をよくしらぬ人のかくことをはをかさりし所也もつとも|こけかたき事なり此書にしるす所は《場所:駿府》政事禄創業記等に|考異秀康卿家譜等の実録をあはせとりて世のうきたる説をは|取らすつゝしんて事のやうを按するに《場所:関か原》の一戦に天下の|こと〳〵く徳川殿に帰せし事たとへは周武王の一たひ戒衣し給ひ|しといふにおさ〳〵おとろへからすはしめ《場所:大坂》にてうしなひ|まいらせんとせし事一たひ二たたひのみにあらすつゐに秀頼の仰せ|なるよしにて上方の諸軍勢はせあつまりて事おこりしかは此時|彼御としわつか八歳にならせ給ひぬたとへかの御母の此はかりことに|あつからせ給ふとも女の御身なれは両御所御恨をとゝめ給ふへきにも|あらすたゝかの□臣等誅せられしのみにてかの御事をよく》