伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(十二・上) - 翻刻

藩翰譜(十二・上) - ページ 39

ページ: 39

翻刻

先陣承て王城ちかく攻入る十月八日《場所:慶尚道》に引 かへし《場所:蔚山》の城を築く城いまたならさるに大明の 経理揚鎬李如梅高策李芳春等か勢をひきゐ 朝鮮の兵をあはせて来りせむ《割書:按するに此時大明の兵二|十万といふ実は大明の兵》 《割書:三万五千三百二十六人朝鮮の兵一万二千五百人都合|四万七千八百二十六人也 しかるをかくこと〳〵しくいひつたへた》 清正浅野 左京太夫幸長太田飛騨守一吉等と わつかなる勢 をもつて日々夜々に ふせき戦ひ明れは三年 正月三日御方の人々後巻してよせ手の勢を 討やふれは城中の兵は希有にしてこそたすかり けれ《割書:《場所:蔚山》の事諸説まち〳〵也 又清正か朝鮮にての|武功かそふるにいとまなけれは大略をしるしぬ》 されば 朝鮮の軍一たひ起りしより 兵つらなる事前後七 ヶ年の間本朝の人々所々の戦功皆とほくなりしかと 清正一人大明朝鮮のために名をよばれあるひは詩に 作りてうたひあるひは神となして まつらる弓矢 とつての誉古今にならふものそなき《割書:按するに大明万暦一より此かたの書に》 《割書:清正か名を称する事あけてかそふはからす崑山の王志堅といふ|ものは倭王と称して歌を作る 又朝鮮国慶尚全羅道等の水営|の軍官年々ことに日をうしないて 諸営戦艦をあつめて 海に|うかみて海神をまつる事あり蒭にて人像をつくりこれを|得て海に しつむかの国の人は 秘しぬれともよくきけは これは|清正を呪咀する事にてありけりその 人像は清正に かたとるかの|国のよく射るものといへとをそれてつゐに あつる事 かなわす|いつれのころにや/二(一)人射てあてたりしを 双なき 高名 いひ|けるにたちまちに 物にくるふてとひはしる其親戚清正を祭て|いろ〳〵につみを謝しけれはそのうち 人心にはなりぬこのゝち》

現代語訳

先陣を承って王城近くまで攻め入った。十月八日に慶尚道に引き返し、蔚山の城を築いた。城がまだ完成しないうちに、大明の経理楊鎬・李如梅・高策・李芳春等が軍勢を率い、朝鮮の兵を合わせて来襲した。清正は浅野左京大夫幸長・太田飛騨守一吉等と、わずかな勢力をもって日夜防戦し、明けて三年正月三日、味方の人々が後詰めして寄せ手の勢を討ち破ったので、城中の兵は奇跡的に助かった。 このように朝鮮の軍が一度起こってから、兵が連なること前後七ヶ年の間、本朝の人々の各所での戦功はみな遠い昔のことになったが、清正一人は大明・朝鮮のために名を呼ばれ、あるいは詩に作って歌われ、あるいは神として祀られている。弓矢での誉れは古今に並ぶ者がない。

英語訳

Having received orders for the vanguard, they attacked close to the royal capital. On the 8th day of the 10th month, they withdrew to Gyeongsang Province and built Ulsan Castle. Before the castle was completed, the Ming officials Yang Hao, Li Rumei, Gao Ce, Li Fangchun and others led their forces, combined with Korean troops, and came to attack. Kiyomasa, together with Asano Sakyō-dayū Yoshinaga, Ōta Hida-no-kami Kazuyoshi and others, defended with only a small force day and night. When dawn broke on the 3rd day of the 1st month of the 3rd year, allied reinforcements arrived and defeated the attacking forces, so the soldiers in the castle were miraculously saved. Thus, since the Korean military campaigns began, troops were engaged for seven years in total. While the war achievements of our countrymen at various locations have all become distant memories, Kiyomasa alone continues to be renowned by the Ming and Koreans - sometimes celebrated in poetry and song, sometimes worshipped as a deity. His military prowess with bow and arrow has no equal in ancient or modern times.