翻刻
春家の老蒲生四郎兵衛故宰相の双而き脇近の侍亘理
八左衛門といふものをうちぬ宗徒の家人等此事をうつたへしかハ
四郎兵衛ハ肥後国に流されて加藤主計頭清正に預けらる
《割書:石田したしかりしによつて四郎兵衛|死刑をまぬかれしなり》此秀行の母うへハ小納戸故右大臣信長公
の姫君にてたくひなき美人の聞へまし〳〵けれハ近曽
殿下に参らせ給ふへきよし忍ひ〳〵の御消息度かさなりし
□にうき事に思ひこめ給ひてみつかさりをなして尼になり給ひ
しを太閤やすからぬ事におほしめすかゝる所に蒲生亘理
か獄起りけれハそも〳〵会津の地ハ陸奥出羽の鎮守として
大事の所にてあんなるに秀行かとしいまた若くて家の事
多になを治めえぬに 両国を守護せん事叶ふへからす成人の
程ハ他の境に移るへきもの也とて 所領集奪取て下野国《場所:宇津宮》
の城に移さる 《割書:十二万○此人徳川殿の聟君なれハ/岩(石)かはからひ|にてかく事につけて 所領減せられしとも申也》
同き六年東西の軍 起りし時《場所:宇津宮》の城を守て奥の
先陣にそ 候ひける 明れハ六年の八月上杉中納言景勝《場所:米沢》
の城に移さる九月廿七日 会津の城をハ秀行朝臣に給
ひぬ《割書:六十|万石》十七年五月十四日三十歳にして世をはやふし
給ひたり嫡子亀千代丸十歳にして家をつき元服して
下野守になされ忠郷与申し二男亀松丸中務大輔に
なふて忠知と申す兄弟共に 大御所の御外孫にてわた