翻刻
【右丁】
いふものも沢山(たくさん)はなかりしとぞ日本橋(にほんばし)に桜屋(さくらや)京(きやう)
橋(ばし)ふくろやと謂(い)ふうち此(この)二軒(にけん)名高(なたか)く其内(そのうち)に
桜屋(さくらや)にては蛸(たこ)を煮(に)る名代(なだい)なり袋屋(ふくろや)にては
蚫(あはび)を煮(に)るが名物(めいぶつ)なり二軒(にけん)ともに其味(そのあぢ)に妙(みやう)を
得(え)たりそのゆへか
蛸(たこ)の桜屋煮(さくらやに) 蚫(あはび)の袋屋煮(ふくろやに)
是(これ)をたこのさくらにあわびのふくら煮(に)といひならは
せりむかしのおごらざるしつそを知(し)るべし
【左丁】
▲かまぼこはんへい
寿永(じゆゑい)年中(ねんぢう)平家(へいけ)追討(ついとう)として八(や)しま壇(だん)のうらへ
鎌倉将軍(かまくらせうぐん)代官(だいくはん)として判官殿(はんぐはんどの)蒲殿(かばどの)御出馬(ごしゆつば)
ありこゝに源氏方(げんじがた)のうちより鮫(さめ)ヶ(が)谷半兵衛(やはんべゑ)といふ
もの平家(へいけ)へ裏切(うらぎり)をなしあまつさへ御道(おんみち)のほと
りへ陣(ぢん)をとり御先(おさき)をさゝへたり源家(げんけ)のつわもの
にくき鮫(さめ)ヶ(が)谷(や)のふるまひかなと我(われ)さきにと鉾先(ほこさき)
を揃(そろ)ひ弓馬(きうば)をかけたて一時(いちじ)に半兵衛(はんべゑ)をうち
現代語訳
【右丁】
というものもたくさんはなかったということである。日本橋に桜屋、京橋に袋屋という店のうち、この二軒が名高く、その中でも桜屋では蛸を煮るのが名代であり、袋屋では鮑を煮るのが名物であった。二軒ともにその味に妙技を得ていた。そのゆえか、
「蛸の桜屋煮」「鮑の袋屋煮」
これを「蛸のさくら煮」「鮑のふくら煮」と言い慣わしている。昔の贅沢をしない質素さを知るべきである。
【左丁】
▲蒲鉾半平(かまぼこはんぺい)
寿永年中、平家追討として屋島・壇ノ浦へ鎌倉将軍の代官として判官殿・蒲殿が御出馬された。ここで源氏方の中から鮫ヶ谷半兵衛という者が平家へ裏切りをなし、その上御道のほとりへ陣を取り、御先を遮った。源家の武士たちは「憎き鮫ヶ谷の振る舞いかな」と我先にと鉾先を揃え、弓馬を駆け立てて一時に半兵衛を討ち
英語訳
【Right Page】
there were not many such establishments. Among the shops called Sakuraya at Nihonbashi and Fukuroya at Kyobashi, these two were famous. Among them, Sakuraya was renowned for boiling octopus, and Fukuroya's specialty was boiling abalone. Both shops had mastered the art of flavoring. Perhaps for this reason,
"Octopus Sakuraya-style" and "Abalone Fukuroya-style"
came to be commonly called "tako no sakura-ni" and "awabi no fukura-ni." One should understand the unpretentious frugality of the past.
【Left Page】
▲Kamaboko Hanpei
During the Juyei era, for the pursuit of the Heike clan to Yashima and Dannoura, Hangandono and Kabadono departed as representatives of the Kamakura Shogun. Here, from among the Genji forces, a man named Samegaya Hanbei betrayed them to the Heike clan, and moreover took position by the roadside, blocking their advance. The Genji warriors, saying "What hateful behavior from Samegaya," vied to be first, aligned their spear points, spurred their horses with bows ready, and attacked Hanbei all at once,