翻刻
たる義団(ぎだん)を滅(めつ)す一千八百五年 我国(わがくに)の文化(ぶんくは)三 丙(ひのへ)
寅年(とらとし)彼(かの)三月十五日 国人(くにたみ)勃那把爾的(ぼなばるて)の義子(ぎし)【左ルビ:ヤシナヒ ゴ】「エウ
ゲニュベアウハルナイス」《割書:人|名》を立(たて)て意太里亜王(いたりやわう)
と為(な)し皇(わう)の妹(いもと)「エリサ」《割書:女|名》を「ピヲムピノ」《割書:地|名》の布綸(ぷりん)
錫帥(せす)《割書:女の|官名》に封(ほう)じ其夫(そのおつと)「ハッシヲシ」《割書:人|名》を「リェツカ」《割書:地|名》の布(ぷ)
綸帥(りんす)《割書:官|名》に封(ほう)ず其(その)熱弩亜(せ▢ゆあ)「パルマ」「ピアセンサ」《割書:以上|地名》
及(およ)び古(いにしへ)の比蒙突(ぴいもんと)諸国(しよこく)は皆(みな)仏蘭西(ふらんす)に併(あわ)す既(すで)にし
て軍(いくさ)を班(あつ)めて意太里亜(いたりや)より返(かへ)る此時(このとき)に方(あた)つて
窩々所徳礼畿(おゝすとれいき)新(あらた)に英吉利(えげれす)。俄羅斯(おろしや)と合従(がつしやう)するを
聴(き)き急(きう)に兵(へい)を興(おこ)して黄祁(どいつ)を伐(う)つ九月二十五日
現代語訳
たる義団を滅ぼす。1805年、我が国の文化3年、丙寅の年、彼の3月15日、国民はボナパルトの養子エウジェーヌ・ド・ボアルネを立ててイタリア王とし、皇帝の妹エリザをピオンビーノの公女統帥に封じ、その夫バッチョッキをルッカの公統帥に封じた。その際、リグーリア(ジェノヴァ)、パルマ、ピアチェンツァ、および古いピエモンテ諸国はすべてフランスに併合した。既に軍を解いてイタリアより帰国した。この時にあたって、オーストリアが新たにイギリス、ロシアと同盟することを聞き、急いで兵を起こしてドイツを攻撃した。9月25日
英語訳
destroys the righteous coalition. In 1805, the third year of Bunka in our country, the year of hinoe-tora (Fire Tiger), on his March 15th, the people established Bonaparte's adopted son Eugène de Beauharnais as King of Italy, enfeoffed the Emperor's sister Elisa as Princess-Governess of Piombino, and enfeoffed her husband Bacciochi as Prince-Governor of Lucca. At that time, Liguria (Genoa), Parma, Piacenza, and the old Piedmont states were all annexed to France. Having already disbanded the army and returned from Italy, at this time, upon hearing that Austria had newly formed an alliance with Britain and Russia, [Napoleon] hastily raised troops and attacked Germany. September 25th