翻刻
ふ「ヒトロニミュス」は帝の同胞(とうはう)【左ルビ:ヲナジハラ】なり是(これ)より前(まへ)「ウュル
テムベルグ」《割書:国|名》の王女(わうぢよ)に婚(こん)せり
是(こゝ)に於(おい)て那波列翁(なぼれおん)は巴里斯(はりす)に凱帰(かいき)し一千八百
七年 我国(わがくに)の文化(ぶんくは)五 戊辰(つちのへたつ) 年(どし)彼(か)の十月二十七日「フ ̄ヲ
レタイネブレアウ」の地(ち)にて窃(ひそ)かに是班牙(いすはにや)と和(わ)
睦(ぼく)して葡萄牙(ほるとがる)を救(すく)はざらしめ即(すなはち)兵(へい)を率(ひき)ひて
葡萄牙(ほるとがる)を伐(う)ち又(また)是班牙(いすはにや)とは陽(おもて)に和睦(わぼく)の状(ふり)を為(な)
し却(かへつ)て潜(ひそか)に兵(へい)を発(はつ)して之(これ)を攻(せか)【ママ】て「ヘトリュリエ」《割書:地|名》
を取(とつ)て仏蘭西(ふらんす)に併(あわ)す大(おほひ)に厳令(げんれい)を出(いだ)して英吉利(えげれす)
の互市(かうえき)を禁(きん)ず此(こ)れ大害(たいがい)を彼(か)れに生(しやう)じて困迫(こんはく)【左ルビ:クルシミセマル】せ
現代語訳
った。ヒエロニムスは皇帝の兄弟である。これより前にヴュルテンベルク国の王女と結婚していた。
ここにおいてナポレオンはパリに凱旋帰国し、1807年(我が国の文化5年戊辰の年)、彼の10月27日にフォンテーヌブローの地にて密かにスペインと和睦して、ポルトガルを救援させないようにし、すなわち兵を率いてポルトガルを攻撃した。またスペインとは表向きには和睦の様子を装いながら、かえって密かに兵を発してこれを攻め、エトルリア(トスカーナ)を取ってフランスに併合した。大いに厳令を出してイギリスとの貿易を禁止した。これは大きな害を彼らに生じさせて困窮に追い込んだ。
英語訳
Hieronymus was the Emperor's brother. Before this, he had married a princess of Württemberg.
At this point, Napoleon returned triumphantly to Paris, and in 1807 (the 5th year of Bunka, year of Tsuchinoe-tatsu in our country), on October 27th of that year, he secretly made peace with Spain at Fontainebleau, preventing them from rescuing Portugal, and immediately led troops to attack Portugal. While outwardly maintaining the appearance of peace with Spain, he secretly dispatched troops to attack them, taking Etruria (Tuscany) and annexing it to France. He issued strict orders prohibiting trade with Britain. This caused great harm to them and drove them into dire straits.