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コレクション: コレクション1

BnF. Département des manuscrits. Japonais 615 (2) - 翻刻

BnF. Département des manuscrits. Japonais 615 (2) - ページ 31

ページ: 31

翻刻

たらしめ大 赫督撫地(へるとぶち)「ベルグ」《割書:地|名》を和蘭王(おらんだわう)の幼子(ようし)【左ルビ:オサナコ】 に賜(たま)ふ俄羅斯帝(おろしやてい)。那波列翁(なぼれおん)と「エルフュルト」の地(ち)に 会(くはい)して更(さら)に前盟(ぜんめい)を申(まうし)固(かた)む又 英吉利(えげれす)は仏蘭西(ふらんす)の 是班牙(いずはにや)を奪(うばふ)を見(み)て之を疾(にく)み兵(へい)を挙(あけ)て仏蘭西を 討(う)つ十月二十九日那波列翁 其地(そのち)に赴(おもむ)き英吉利(えげれす) を破(やぶ)る窩々斯徳礼畿(おゝすとれいき)又兵を挙(あげ)て来(きた)り冠(かた)するを 聞(き)き急(きう)に兵(へい)を旋(めぐ)らして之を拯(すく)ふ黄祁帝(といつてい)弗朗氏(ふらんす) は仏国(ぶつこく)の為(ため)に数々(しば〳〵)敗(やふ)らるを以て尚(なを)兵(へい)を起(おこ)して 宿仇(しゆくきう)を雪(すゝ)がんと欲(ほつ)し一千八百九年 我国(わがくに)の文化(ぶんくは) 七 庚午(かのへむま)彼(か)の四月九日 戦書(せんしよ)を那波列翁(なぼれおん)に贈(おく)る

現代語訳

とした。また、ベルク大公国をオランダ王の幼い息子に与えた。ロシア皇帝はナポレオンとエルフュルトの地で会談し、さらに以前の同盟を申し固めた。また、イギリスはフランスがスペインを奪うのを見てこれを憎み、兵を挙げてフランスを討った。10月29日、ナポレオンはその地に赴き、イギリスを破った。オーストリアもまた兵を挙げて来襲するのを聞き、急いで兵を回してこれを救った。ドイツ皇帝フランツはフランスのために度々敗れることから、なお兵を起こして宿敵への復讐を果たそうと欲し、1809年(我が国の文化7年庚午の年)彼の4月9日、宣戦布告をナポレオンに送った。

英語訳

He established this arrangement. He also granted the Grand Duchy of Berg to the young son of the King of Holland. The Russian Emperor met with Napoleon at Erfurt and further reinforced their previous alliance. Meanwhile, Britain, seeing France seize Spain, despised this action and raised troops to attack France. On October 29th, Napoleon went to that land and defeated the British. Hearing that Austria had also raised troops and was coming to attack, he quickly turned his forces to deal with this threat. Emperor Francis of Germany, having been repeatedly defeated by France, still desired to raise troops to avenge his long-standing enmity, and on April 9th, 1809 (the 7th year of Bunka, year of Kanoe-uma in our country), sent a declaration of war to Napoleon.