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コレクション: コレクション1

BnF. Département des manuscrits. Japonais 615 (2) - 翻刻

BnF. Département des manuscrits. Japonais 615 (2) - ページ 39

ページ: 39

翻刻

ルセン」両地(りやうち)に戦(たゝかふ)て皆(みな)之(これ)に克(か)ち転(てん)じて「シンシア」 に攻入(せめい)る「ダホウト」《割書:人|名》は「ハムビュルク」の地(ち)を復(かへ)し 六月四日 兵(へい)を止(やめ)るを約(やく)す窩(お)々 所徳礼畿(すとれいき)は仏蘭(ふらん) 西(す)孛漏生(ぷろいせん)両国(りやうごく)の兵(へい)を和(くは)せんと欲(ほつ)し「プラーグ」の 地(ち)に於(おい)て和議(わぎ)を謀(はか)る和議(わき)ならず既(すで)にして八月 十日 窩々所徳礼畿(おゝすとれいき)又(また)反(はん)して戦書(せんしよ)を仏蘭西(ふらんす)に贈(おく) る遂(つい)に「デレステン」に戦(たゝか)ふ窩々所徳礼畿(おゝすとれいき)の兵(ひやう)戦(たゝか) ひ破(やぶ)る仏将(ぶつしやう)「モレアウ」《割書:人|名》重創(おもきず)を蒙(かふむ)る此(これ)を那波列(なぼれ) 翁(おん)が最(もつと)も後(のち)の勝(かち)とす八月二十六日【「脱ヵ】カイスパグ」 《割書:地|名》に武略舎爾(ぶりつせる)《割書:人|名》勇戦(ゆうせん)して仏蘭西(ふらんす)の軍(いくさ)を破(やぶ)り全(ぜん)

現代語訳

ルゼン」両地で戦ってみなこれに勝利し、転じて「シレジア」に攻め入った。「ダヴー」(人名)は「ハンブルク」の地を奪回し、6月4日に停戦を約束した。オーストリアはフランスとプロイセン両国の兵を和解させようと欲し、「プラハ」の地において和議を謀った。しかし和議は成らず、すでに8月10日、オーストリアもまた反旗を翻して宣戦布告をフランスに送った。ついに「ドレスデン」で戦った。オーストリアの兵は戦いに破れた。フランス将軍「モロー」(人名)は重傷を負った。これをナポレオンにとって最後の勝利とする。8月26日「カルスバッハ」(地名)においてブリュッヒャー(人名)が勇戦してフランス軍を破り、全

英語訳

rsen," fighting at both locations and achieving victory in all, then turning to attack "Silesia." "Davout" (personal name) recaptured the territory of "Hamburg," and on June 4th agreed to cease hostilities. Austria desired to reconcile the forces of both France and Prussia, and plotted peace negotiations at "Prague." However, the peace negotiations failed, and by August 10th, Austria also turned against them and sent a declaration of war to France. Finally, they fought at "Dresden." Austria's forces were defeated in battle. The French general "Moreau" (personal name) suffered severe wounds. This is considered Napoleon's last victory. On August 26th at "Katzbach" (place name), Blücher (personal name) fought valiantly and defeated the French army, completely