翻刻
盛(さかん)にし軍艦(くんかん)を修補(しゆほ)し植民(しよくみん)を弘恢(ひろく)せんと欲(ほつ)し殫(たん)【左ルビ:セイヲ】
精(せい)【左ルビ:ツクシ】焦思(せうし)【左ルビ:オモヒヲコガシ】専(もつば)ら其事(そのこと)を務(つと)む一千八百二年 我国(わがくに)の享(きやう)
和(わ)三癸亥年 彼(か)の一月「コンシュル」自(みづか)ら親衛(しんえい)の兵(ひやう)を
率(ひき)ひて「レイヲン」に赴(おもむ)き意太里亜(いたりや)国内(こくない)「シスアル
ベイン」《割書:地|名》義団(ぎだん)を復(ふく)す仏蘭西(ふらんす)の百宦(ひやくくわん)議(ぎ)して勃那(ぼな)
杷爾的(ばるて)を以(もつ)て之(これ)が総裁(そうさい)たらしむ三月 大貌利丹(だいぶりた)【左ルビ:エゲレ】
尼(に)【左ルビ:ス】と「アミインス」《割書:地|名》に会(くはい)して和議(わぎ)を定(さだ)む勃那杷(ぼなば)
爾的(るて)は既(すで)に土地(とち)を墾闢(こんへき)【左ルビ:ヒラク】し人民(にんみん)を蕃殖(はんしよく)【左ルビ:シケリフエル】し宝帥(ばうす)と
「コンコルダート」を挙行(あげおこな)ふて国法(こくほう)を正(たゞ)し継(つい)で仏(ふ)
蘭西(らんす)国内(こくない)寺院(じいん)の法制(ほうせい)を約(やく)し廃蕪(はいぶ)【左ルビ:スタレル】せる学校(がくかう)を興(おこ)
現代語訳
盛んにし、軍艦を修理補強し、植民地を広く開拓しようと欲し、精力を尽くし思いを焦がして、もっぱらその事業に務めた。1802年、我が国の享和3年癸亥の年、彼の1月、執政は自ら親衛兵を率いてリヨンに赴き、イタリア国内のシザルピーナ共和国を復活させた。フランスの百官が議して、ボナパルトをその総裁とした。3月、イギリスとアミアンで会談し和議を定めた。ボナパルトは既に土地を開墾し、人民を繁殖させ、教皇とコンコルダートを締結して国法を正し、続いてフランス国内の寺院の法制を約定し、荒廃した学校を興隆させた。
英語訳
He made them flourish, repaired and reinforced warships, and desired to expand colonies extensively. He exhausted his energy and burned with passion, devoting himself entirely to these enterprises. In 1802, the year Kyōwa 3 (Year of the Water Pig) in our country, in January of that year, the Consul personally led his guard troops to Lyon and restored the Cisalpine Republic within Italian territory. French officials deliberated and made Bonaparte its president. In March, he met with Britain at Amiens and concluded a peace agreement. Bonaparte had already cultivated the land, increased the population, concluded a Concordat with the Pope to correct national laws, and subsequently established regulations for temples within France and revived schools that had fallen into ruin.