キリシタン関連史料を翻刻

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破吉利支丹 - 翻刻

破吉利支丹 - ページ 6

ページ: 6

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【右丁】  先(まづ)神(かみ)と現(げん)し。此国(このくに)に跡(あと)を垂(たれ)給ふ事(こと)は。  人の心(こゝろ)をやはらげ。真(まこと)の道(みち)に。入(いれ)給はん為(ため)  の方便(はうべん)なり。神(かみ)と云(いひ)佛(ほとけ)と云(いふ)は。唯(ただ)是(これ)水(すい)  波(は)の隔(へたて)也。本覚(ほんかく)真如(しんによ)の一/仏(ぶつ)。化現(けげん)して。人(ひと)の  心(こゝろ)に應(おふ)じて。済度(さいど)し給ふ。去(され)ば神(かみ)を敬(うやま)  ひ奉(たてまつ)る心(こゝろ)も。彼(かの)一/仏(ぶつ)に報(むく)ひ奉(たてまつ)るなり。  喩(たとへ)ば。国王(こくわう)を敬(うやま)ひ奉(たてまつ)るには。臣下(しんか)大臣(だいじん)  を始(はじめ)。其(その)次第(しだい)〳〵物頭(ものがしら)役人(やくにん)。百姓(ひやくせう)等(とう)は。  代官(だいくはん)下代(げだい)までを敬(うやま)ふ事(こと)。定(さだま)れる法(ほふ) 【左丁】  也。是皆(これみな)。上(かみ)一/人(にん)を貴(たつと)び奉(たてまつ)るの儀(ぎ)なり。き  りしたんの教(をしへ)の如(こと)きは。上(かみ)一/人(にん)を貴(たつと)び奉(たてまつ)  る人。其下(そのした)を用ひざるを。正理(しやうり)と云(いふ)に  あらずや。かやう非儀(ひぎ)をよしとせんや。 一/日本(につほん)にて。日月(じつげつ)を敬(うやま)ひ奉(たてまつ)る事(こと)僻事(ひかこと)  也。是(これ)は世界(せかい)の行燈(あんどん)なり。是(これ)もでうす  を知(しら)ざる故(ゆへ)と云(いふ)由(よし)聞及(きゝおよぶ)。破(は)して云(いはく)。夫(それ)  人間(にんげん)の形(かたち)は。陰陽(いんやう)を根本(こんほん)として。四大(したい)合(がつ)  して躰(たい)と成(なる)。然(しかれ)ば日輪(にちりん)は陽(やう)の正躰(しやうたい)。月輪(ぐわつりん)

現代語訳

【右丁】 まず神として現れ、この国に跡を垂れ給うことは、人の心を和らげ、真の道に入らせ給うための方便である。神と言い仏と言うのは、ただ水と波の違いに過ぎない。本覚真如の一仏が、化現して人の心に応じて済度し給う。されば神を敬い奉る心も、かの一仏に報い奉ることなのである。 たとえば、国王を敬い奉るには、臣下大臣をはじめ、その次第次第の物頭役人、百姓等は、代官下代までを敬うことが定められた法 【左丁】 である。これは皆、上の一人を貴び奉る儀なのである。キリシタンの教えのようなものは、上の一人を貴び奉る人が、その下を用いないのを正理と言うのではないか。このような非儀を良しとするであろうか。 一、日本にて、日月を敬い奉ることは邪なことである。これは世界の行燈である。これもデウスを知らないからだと言うと聞いている。反駁して言う。そもそも人間の形は、陰陽を根本として、四大が合して体となる。そうであれば日輪は陽の正体、月輪

英語訳

【Right page】 First manifesting as gods and casting traces in this country is a skillful means to soften people's hearts and guide them into the true Way. Calling them "gods" or calling them "buddhas" is merely the distinction between water and waves. The one Buddha of original enlightenment and true suchness manifests in response to people's hearts and saves them. Therefore, the heart that reveres and honors the gods is also repaying that one Buddha. For example, in honoring the sovereign, from the retainer ministers down through the various ranks of officials and commoners, even respecting the deputies and their subordinates is established law. 【Left page】 This is all the protocol for revering the one above. Is not the Christian teaching like saying that those who revere the one above should not employ those below as correct principle? Would such impropriety be considered good? 1. They say that in Japan, revering the sun and moon is a mistaken thing. These are the lanterns of the world. I hear they also say this is because we do not know Deus. I refute this saying: The human form fundamentally takes yin and yang as its basis, with the four elements combining to form the body. This being so, the sun is the true substance of yang, the moon