翻刻
【右丁】
王に封せらる四月山南王の弟汪応祖《割書:承察度|従弟》亦襲封の
事を請ひ且山北王の例の如く冠服を賜はらんことを乞
ふ成祖遂に使を遣はし詔を齎て封して山南王に封し
請ふ所の冠服を賜はる《割書:永楽元年常て山南王長史王茂|をして朝貢す山北王攀安知使》
《割書:善住古那を遣して方物を貢し冠帯衣服を賜て以て国|俗を燮せん事を丐ふに会ひぬ成祖之を許さる是に至|て山南王汪応祖使隗谷結致|を遣はして冠服を丐と云》
武寧位を嗣て《割書:元至正十六年に生|四十一歳にて即位》父の遺命に違ひ禽色
に荒み日夜逸遊す此に於て諸侯多く背く尚巴志既に
山南山北を滅し遂に并せて中山王を滅し三国を合て
一とし其父思紹を奉して王とす
【左丁】
察度 ̄ヨリ至_二武寧 ̄ニ_一凡二伝共五十六年
思紹《割書:武寧の世子佐鋪按司也在位十六年其寿又伝ら|す時明 ̄ノ永楽十九年本朝後小松院応永廾八年》
永楽五年父武寧が訃を以て告く成祖祭賻を賜ひ思紹
に詔して王爵を嗣しむ十三年山南王の世子他魯毎を
封して琉球国山南王とす《割書:父汪応祖兄達勃期が為に弑|せらる各寨官兵を合して達》
《割書:勃期を誅し他魯毎を推して国事を摂せしむ|他魯毎表して襲封を請ふ故に使をして誥命冠服を賜ふ》廾二
年始て王の訃明国に聞す因て使をして世子尚巴志に
祭賻を賜ふ
尚巴志《割書:思紹の嫡子在位十八年寿六十八にて薨す|明英宗正統四年我朝花園院永享十一年》
尚巴志は佐鋪按司思紹の嫡子也洪武五年に生同卅五
現代語訳
【右丁】
王に封じられる。四月、山南王の弟汪応祖(承察度の従弟)もまた襲封の事を請い、かつ山北王の例のように冠服を賜りたいと願った。成祖はついに使者を派遣し詔を携えて封じて山南王とし、請うところの冠服を賜った。(永楽元年、かつて山南王長史王茂を朝貢させた。山北王攀安知は使者善住古那を派遣して方物を貢し、冠帯衣服を賜って国俗を整えることを願ったのに合わせ、成祖はこれを許した。ここに至って山南王汪応祖は使者隗谷結致を派遣して冠服を願ったという)
武寧は王位を継承したが(元至正十六年に生まれ、四十一歳で即位)、父の遺命に背き、女色に耽り日夜遊興にふけった。これによって諸侯の多くが背いた。尚巴志は既に山南・山北を滅ぼし、ついに中山王をも併せて滅ぼし、三国を合わせて一つとし、その父思紹を奉じて王とした。
【左丁】
察度から武寧まで、合わせて二代五十六年間
思紹(武寧の世子佐銘按司である。在位十六年。その寿命はまた伝わらない。時に明の永楽十九年、本朝後小松院応永二十八年)
永楽五年、父武寧の訃報を以て告げた。成祖は祭賻を賜い、思紹に詔して王爵を継承させた。十三年、山南王の世子他魯毎を封じて琉球国山南王とした(父汪応祖は兄達勃期のために弑殺された。各寨官兵を合わせて達勃期を誅殺し、他魯毎を推して国事を摂政させた。他魯毎は表を奉って襲封を請うたので、使者をして誥命冠服を賜った)。二十二年、初めて王の訃報が明国に聞こえた。因って使者をして世子尚巴志に祭賻を賜った。
尚巴志(思紹の嫡子。在位十八年。寿命六十八にて薨去。明英宗正統四年、我が朝花園院永享十一年)
尚巴志は佐銘按司思紹の嫡子である。洪武五年に生まれ、同三十五年