翻刻
【右丁】
ひしと悉く憤り恨る由是実事にして政武威の衰へに似
たりといへども密に聞く是等は 家康公よりの御教諭
の遺計なりとぞ聞ゆ実さもと思ふは慶長十四年嶋津義
久琉球中山王を屈服せしめて是を携へ来る時舅氏の礼
を以て還す此時は琉球の三山皆服す爰に到て本朝の威
風を大に揚ん事を欲せば則琉球に日本の年号を用させ
且松平琉球守に封して中山王尚寧などヽ云号を省かす
へき事なり然るに其事なく此悦ひ快よからざるに策決
したる事ありと見へたり故に日本寛永の頃北京の清帝
より又中山王を伏従せしめて多分は中華の属国となる
【左丁】
爰に到て強て他を伏せしむとも海路の費ありて我国の
徳用にはなりがたし只彼国より渡らしめて日本の徳澤
となることを計り給ひしとぞ思はる《割書:此頃蝦夷教化の事に|よりて某藩士予に語》
《割書:て云我【送り仮名:か王の】祖先 神君駿府御座の時執政たり当時蝦夷教育
せば本邦の板図に入へしと之を教諭せんことを告す
神君嘗て従ひ玉はすといふこと四記にありと謹て按する
に 神君大業成就まし〱ては静平にして万物能く調ひ
不足あることなく海外偏僻の地方を求るに益なし其国帰
誠して真の附庸とならは其国難ある時は之を救ひ援け
ずんはあるべからず仍て強て求め■【給ヵ】はさるは却て至極
の理ある事決然たり尋常を以て論すれば本朝の英を減
し失策に似たり然なから如何なる
深慮やまし〱て■【けんヵ】愚意を以て不可議》
琉球国 本朝へ来聘之記
本朝唐土へ聘問の事は唐代に始り後遣使を停められてヵ