翻刻
【右丁】
宮の庭を以て神の至る所とし傘三十余を立其傘の大
きなる■高さ七八尺其輪十尋余小なるものは一尺ば
かり又山神時ありて現はる其数多く現は■■あり
又少なく見■■■■■其面は■■な■■袖の長き
物を着す其衣裳たちまち■して或は錦■の■■或は
麻衣の如し二人の童子を従ふ二郎■郎といふ其衣裳
は日本の製の如くにして小袖に上袴なり神怒る事あ
りと見へ■童を鞭■■あり其童の啼■犬の如し又ヲ
ウチキウといふ海神見■■事あり其長は一■ばか
りにして陰■殊に大き■■ば■を結■て■にかく是
【左丁】
等の神の現はれし■正しく見■り■を記■り是■
談なれとも白石先生琉球事■に又是を引て曰慶長年
中本朝の僧彼国にありて其風土の■を記■■を按■
■■■■則定西法師伝を云へり
天孫氏より■■代■数一万七千八百二十年の間は洪荒
の世にして記載なく元来文字なく又晦朔を知らず月の
■■を見■時を知■■の栄■を見て歳を知■■い■り
■■世乙丑に起て丙午に■ふ其王徳衰へて政す■■諸
按司多くは之に叛き逆臣利勇といふ者其君を酖殺して
自立す時に大里の按司朝公の男浦添の按司尊敦其賊を