伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(九・下) - 翻刻

藩翰譜(九・下) - ページ 6

ページ: 6

翻刻

【右丁】 《割書:政実等か主にそむきて国中常にしつかならす信直白々に叛臣にせ|められて今はたつこといふ城一ツを守りゐて国中の事をたにしらす》 《割書:まして遠き境の事夢にたにしらすかゝる所に天正十八年の春の末|京三条通にすむ鷹商人清蔵といひしもの南部に下りさても殿は》 《割書:いまたしろしめされすや当時天下をしろしめすは豊臣関白秀吉公と|申て関東の北条か王命にしたかはぬを征伐し亡すへしとて天下の》 《割書:軍兵を催しせめ下り今は相模の国に御陣をめされ候也北条のほろひん|事は日あるましそのゝちはすくに奥方に御下向あるへしとうけ給はる》 《割書:いそきみかたにまいらせたまはゝ当家のはんしやう御子孫の御ゆくすへ|めてたふこそ侍りけれと申けれは信直大におとろきてさては今天下》 《割書:はすてにさたまりしやさらはその秀吉殿へまいらさらんには当家の行|すへたのもしからす又まいらんとせんにはその隙をうかゝひて国中》 《割書:の逆徒等に国うははれん事くひすをめくらさしいかゝはせんと|あんしわつらふ商人かさねて申やうさらはまつ御家人のうちをえらみ》 《割書:て御使をまいらせられみかたに参り給ふへきよしを仰らるへうもや候半|とありけれは此義もつともしかるへしと家子郎等の御中を一々に御えら》 《割書:みきはめてかたくななる田舎人鎧着太刀はいて馬のつたるには似も|似すたちふるまひの不骨さはさもありなん物いひ鼻よりうめき》 《割書:出て世の人きゝわくへくも覚へねはこれもかなふへし共思はれすあきれはて|て居たりしかは清蔵此上は何かくるしう候へき某御使となのりて参らんか》 【左丁】 《割書:こゝ元のありさまい一々に申又殿の思ひ給はんやうをありのまゝに申上け|御領安堵の御教書を取てまいらせんといひけれは信直大に悦ひこれにまし》 《割書:たる事あらしとかの商人を使者として当国の土産なれは究竟の逸物の|馬ともひかせて相模国へそのほせける南部の使御陣へ参りて信直か参》 《割書:らさる趣を初とし津軽九戸等か事を一々にのへたり関白殿聞召国中逆乱|によつて道既にふさかる【ママ】たるに早く使を奉る事神妙也南部か累代伝領》 《割書:の地安堵の事子細有へからす又家人等か逆威をふるふ事甚以奇怪也|いかにもして信直か城をまもりて秀吉か下向をまちつけよとおふせ》 《割書:あつて使をはかへされたり信直大によろこふ事かきりなし北条ほろ|ひしのち同き年の八月十日関白殿奥に御下向ありしかは信直や》 《割書:かて御陣に参る津軽の地は最初に右京亮為信に|たまひしうへは南部に返し付らるゝにおよはす》明れは十九年の 夏の頃家人九戸《割書:諸説に修理亮政実と見ゆ|蒲生の記には右近とあり》櫛引将監等を初 として家子郎等あまた信直にそむきこゝかしこのあ ふれものまねかさるにはせあつまりてすてに多勢にを よひ信直戦ひにかつ事を得すいそきはや馬を都に

現代語訳

【右丁】 (政実等が主君に背いて国中常に静かでなく、信直は四方八方から叛臣に攻められて、今はただ一つの城を守っているだけで、国中のことすら知らない状況である。まして遠い境界のことなど夢にも知らない。そのような時、天正十八年春の末、京都三条通に住む鷹商人清蔵という者が南部に下って来て言うには、「それにしても殿はまだご存知ないのですか。当時天下を治めているのは豊臣関白秀吉公と申して、関東の北条が王命に従わないのを征伐し滅ぼそうとして、天下の軍兵を催して攻め下り、今は相模国に御陣を敷かれています。北条が滅ぶのは日数の問題でしょう。その後はすぐに奥州方面にお下向になるはずだと承っております。急いで味方に参られましたら、当家の繁栄、ご子孫のご将来、めでたいことこの上ございません」と申したので、信直は大いに驚いて、「それでは今天下はすでに定まったのか。それならその秀吉殿へ参らなければ当家の行く末は頼りない。また参ろうとしても、その隙を狙って国中の逆徒等に国を奪われてしまうだろう。進退窮まってどうしたものか」と案じ悩んだ。商人が重ねて申すには、「それならばまず御家人の中からお選びになって御使いを送られ、味方に参る意向を申し上げられてはいかがでしょうか」とあったので、この提案はもっともであろうと家子郎党の中を一人一人お選びになったが、みな頑固な田舎者で、鎧を着て太刀を履いて馬に乗るのには似つかわしくないが、立ち振る舞いの不器用さはそれも仕方ない。しかし物言いが鼻声で呻くようで、世の人が聞いて分かるとも思えないので、これも適わないだろうと思われ、呆れ果てていたところ、清蔵が「この上は何が苦しいでしょうか。私が御使いと名乗って参りましょうか。) 【左丁】 (ここ元(南部)の有様を一々に申し上げ、また殿のお考えになることをありのままに申し上げて、ご領地安堵の御教書を取って参らせましょう」と言ったので、信直は大いに喜び、「これに勝ることはあるまい」として、かの商人を使者として、当国の土産なので究極の逸物の馬どもを牽かせて相模国へと派遣した。南部の使いが御陣へ参って、信直が参上できない事情を始めとして津軽・九戸等のことを一々に述べた。関白殿がお聞きになって、「国中逆乱によって道がすでに塞がれているのに、早く使者を送ったことは神妙である。南部の累代伝領の地を安堵することに異議はない。また家人等が逆威を振るうことは甚だ奇怪である。いかにもして信直が城を守って秀吉の下向を待ち受けよ」と仰せになって使者をお帰しになった。信直の喜びは限りなかった。北条が滅んだ後、同年八月十日関白殿が奥州にお下向になったので、信直はようやく御陣に参った。津軽の地は最初に右京亮為信にお与えになった上は、南部に返し付けるには及ばない。)明ければ十九年の夏の頃、家人九戸(諸説に修理亮政実と見える。蒲生の記には右近とある)櫛引将監等を始めとして家子郎党多数が信直に背き、あちこちの浪人を招き寄せて駆せ集まり、すでに多勢に及んだので、信直は戦いに勝つことを得ず、急いで早馬を都に 【右丁】 (政実等が主君に背いて国中常に静かでなく、信直は四方八方から叛臣に攻められて、今はただ一つの城を守っているだけで、国中のことすら知らない状況である。まして遠い境界のことなど夢にも知らない。そのような時、天正十八年春の末、京都三条通に住む鷹商人清蔵という者が南部に下って来て言うには、「それにしても殿はまだご存知ないのですか。当時天下を治めているのは豊臣関白秀吉公と申して、関東の北条が王命に従わないのを征伐し滅ぼそうとして、天下の軍兵を催して攻め下り、今は相模国に御陣を敷かれています。北条が滅ぶのは日数の問題でしょう。その後はすぐに奥州方面にお下向になるはずだと承っております。急いで味方に参られましたら、当家の繁栄、ご子孫のご将来、めでたいことこの上ございません」と申したので、信直は大いに驚いて、「それでは今天下はすでに定まったのか。それならその秀吉殿へ参らなければ当家の行く末は頼りない。また参ろうとしても、その隙を狙って国中の逆徒等に国を奪われてしまうだろう。進退窮まってどうしたものか」と案じ悩んだ。商人が重ねて申すには、「それならばまず御家人の中からお選びになって御使いを送られ、味方に参る意向を申し上げられてはいかがでしょうか」とあったので、この提案はもっともであろうと家子郎党の中を一人一人お選びになったが、みな頑固な田舎者で、鎧を着て太刀を履いて馬に乗るのには似つかわしくないが、立ち振る舞いの不器用さはそれも仕方ない。しかし物言いが鼻声で呻くようで、世の人が聞いて分かるとも思えないので、これも適わないだろうと思われ、呆れ果てていたところ、清蔵が「この上は何が苦しいでしょうか。私が御使いと名乗って参りましょうか。」 【左丁】 (ここ元(南部)の有様を一々に申し上げ、また殿のお考えになることをありのままに申し上げて、ご領地安堵の御教書を取って参らせましょう」と言ったので、信直は大いに喜び、「これに勝ることはあるまい」として、かの商人を使者として、当国の土産なので究極の逸物の馬どもを牽かせて相模国へと派遣した。南部の使いが御陣へ参って、信直が参上できない事情を始めとして津軽・九戸等のことを一々に述べた。関白殿がお聞きになって、「国中逆乱によって道がすでに塞がれているのに、早く使者を送ったことは神妙である。南部の累代伝領の地を安堵することに異議はない。また家人等が逆威を振るうことは甚だ奇怪である。いかにもして信直が城を守って秀吉の下向を待ち受けよ」と仰せになって使者をお帰しになった。信直の喜びは限りなかった。北条が滅んだ後、同年八月十日関白殿が奥州にお下向になったので、信直はようやく御陣に参った。津軽の地は最初に右京亮為信にお与えになった上は、南部に返し付けるには及ばない。)明ければ十九年の夏の頃、家人九戸(諸説に修理亮政実と見える。蒲生の記には右近とある)櫛引将監等を始めとして家子郎党多数が信直に背き、あちこちの浪人を招き寄せて駆せ集まり、すでに多勢に及んだので、信直は戦いに勝つことを得ず、急いで早馬を都に

英語訳

【Right Page】 (Masazane and others rebelled against their lord, keeping the province in constant turmoil. Nobunao was besieged by rebels on all sides and was now defending only one castle, unaware even of affairs within his own domain, let alone distant border matters. At such a time, in late spring of Tenshō 18, a hawk merchant named Seizō who lived on Sanjō Street in Kyoto came down to Nanbu and said, "Even so, does my lord still not know? The one who currently rules the realm is Kampaku Toyotomi Hideyoshi, who is mustering all the military forces of the realm to subjugate and destroy the Hōjō of Kantō for not obeying the imperial command. He has now established his camp in Sagami Province. The destruction of the Hōjō is only a matter of days. After that, he will immediately proceed down to the northern provinces, as I have heard. If you quickly join his side, the prosperity of your house and the future of your descendants will be most auspicious." Hearing this, Nobunao was greatly surprised and said, "Then the realm has already been decided? In that case, if I do not go to serve Lord Hideyoshi, my house's future will be uncertain. But if I try to go, the rebels in the province will seize the opportunity to take over the domain while I'm away. I am at a complete loss as to what to do." The merchant further advised, "Then why not first select someone from among your retainers to send as an envoy to express your intention to join his side?" This seemed reasonable, so he examined his household retainers one by one, but they were all stubborn country folk who, while they might look appropriate in armor with swords and on horseback, were clumsy in their deportment—which was understandable—but their speech was nasal and groaning, hardly comprehensible to people of the world. This too seemed impossible, and he was at his wit's end when Seizō said, "What difficulty is there in this? I shall go as your envoy.) 【Left Page】 (I will report in detail the situation here and honestly convey my lord's thoughts, and obtain a written guarantee for the security of your domain." Nobunao was greatly pleased, saying "Nothing could be better than this," and sent the merchant as his envoy to Sagami Province, having him lead some of the finest horses as local products of the province. The Nanbu envoy went to the camp and reported in detail about Nobunao's inability to come personally and matters concerning Tsugaru, Kunohe, and others. When Kampaku heard this, he said, "It is commendable that you sent an envoy quickly despite the roads being blocked by rebellion in your domain. There is no objection to confirming Nanbu's hereditary territories. It is also extremely outrageous that your retainers are wielding rebellious power. By all means, Nobunao should defend his castle and await Hideyoshi's arrival," and sent the envoy back. Nobunao's joy was boundless. After the Hōjō were destroyed, on the 10th day of the 8th month of the same year, Kampaku proceeded down to the northern provinces, and Nobunao finally went to the camp. As for Tsugaru territory, since it was initially granted to Ukyō-no-suke Tamenobu, there was no need to return it to Nanbu.) When the following year (19th) came, in the summer, retainers beginning with Kunohe (various accounts identify him as Shuri-no-suke Masazane; the Gamō records call him Ukon) and Kushihiki Shōgen, along with many household retainers, rebelled against Nobunao. They gathered wandering warriors from here and there, amassing a large force, and since Nobunao could not win in battle, he urgently sent a fast horse to the capital