琉球・沖縄の世界を翻刻する

コレクション: ハワイ大学所蔵 阪巻・宝玲文庫 vol. 1

琉球入貢紀畧 - 翻刻

琉球入貢紀畧 - ページ 11

ページ: 11

翻刻

り猶(なほ)多(おほ)かるべけれど、その頃(ころ)世(よ)おだやかならず、記(き) 載(さい)もまたに乏(ともし)ければ、その詳(つまびらか)なることは知(し)りがたき なり、   薩州太守(さつしうのたいしゆ)島津氏(しまづうぢ)琉球(りうきう)を征伐(せいばつ)す 琉球国は、嘉吉年間(かきつねんかん)足利義教(あしかゝよしのり)の命(めい)ありてより このかた、世々(よゝ)薩州(さつしう)に附庸(ふよう)の国(くに)たるを、天正(てんしやう)のころ 群雄割拠(ぐんゆうかつきよ)【左注「てんかいつとうせず」】の時(とき)にあたりて、琉球の往来(わうらい)も姑(しはら)く絶(た) えたりければ、薩州(さつしう)の太守(たいしゆ)島津家久(しまづいへひさ)より、もとの如(こと) く貢使(こうし)あるべきよしを、再三(さいさん)使(つかひ)をもていひつ かはしけれども、彼国(かのくに)の三司官(さんしくわん)謝那(しやな)といふ者(もの)、竊(ひそか)に明(みん) 人(ひと)と事(こと)を議(はか)りて、待遇(たいぐう)ことさらに無礼(ぶれい)なりしかば、 已(や)むことを得(え)ずして、慶長(けいちやう)十四年の春(はる)、台命(たいめい)を蒙(かうふり) 軍(いくさ)を起(おこ)し、樺山(かばやま)権左 衛門(ゑもん)久高(ひさたか)を総大将(そうたいしやう)とし、平(ひら) 田太郎(たたろ)左衛門(さゑもん) 益宗(ますむね)を副将(ふくしやう)とし、龍雲和尚(りううんをしやう)を軍(ぐん) 師(し)とし、七島郡司(なゝしまくんじ)を按内(あんない)として、その勢(せい)都合(つがふ)三千余(さんぜんよ) 人(にん)戦艦(いくさぶね)百余艘(ひやくよそう)を出(いだ)して、二月二十一日 纜(ともつな)を解(と)きて、琉 球国へ発向(はつかう)せしむ、樺山(かばやま)久高(ひさたか)総勢(そうぜい)を引卒(いんそつ)して、は じめ大島(おほしま)に著岸(ちやくかん)し、また徳島(とくしま)に赴(おもむ)きしに、島人(しまひと)こ

現代語訳

りなお多かったであろうが、その頃は世が穏やかでなく、記録もまた乏しかったので、その詳細なことは知ることができない。 薩摩国主島津氏が琉球を征伐する 琉球国は、嘉吉年間に足利義教の命令があって以来、代々薩摩国に従属する国であったが、天正の頃、群雄割拠(天下が統一されていない)の時代にあたって、琉球との往来もしばらく絶えていた。そこで薩摩国主島津家久より、もとのように貢使があるべきことを、再三使者をもって伝えたけれども、かの国の三司官謝那という者が、ひそかに明国人と謀議して、待遇がことさらに無礼であったので、やむを得ず、慶長十四年の春、将軍の命令を受けて軍を起こし、樺山権左衛門久高を総大将とし、平田太郎左衛門益宗を副将とし、龍雲和尚を軍師とし、七島郡司を案内役として、その勢力は総計三千余人、戦艦百余艘を出して、二月二十一日に船の綱を解いて、琉球国へ向けて出発させた。樺山久高は全軍を率いて、はじめ大島に着岸し、また徳島に向かったところ、島民たちは

英語訳

there would likely have been many more [instances], but since the world was not peaceful at that time and records were also scarce, the details cannot be known. The Satsuma Domain Lord, the Shimazu Clan, Conquers Ryukyu The Kingdom of Ryukyu had been a vassal state of Satsuma Province for generations since the command of Ashikaga Yoshinori during the Kakitsu era. However, during the Tenshō period, in the age of competing warlords (when the realm was not unified), exchanges with Ryukyu had temporarily ceased. Therefore, the Satsuma domain lord Shimazu Iehisa repeatedly sent messengers demanding that tribute missions be resumed as before. However, the Sanshikan (three chief ministers) of that country, a man named Shana, secretly conspired with Ming Chinese and showed deliberately disrespectful treatment. Having no choice, in the spring of Keichō 14, [Shimazu] received the Shogun's command and raised an army. With Kabayama Gonzaemon Hisataka as supreme commander, Hirata Tarōzaemon Masumune as vice-commander, the monk Ryūun as military strategist, and the Nanashima county magistrates as guides, their total force of over three thousand men and over one hundred warships set out. On the twenty-first day of the second month, they cast off their mooring ropes and departed for the Kingdom of Ryukyu. Kabayama Hisataka led the entire force and first landed at Ōshima, then proceeded to Tokushima, where the islanders