翻刻
語(かたり)智証大師(ちしようたいし)の伝(でん)に、仁寿(にんじゆ)三年八月ノ九日、宋(そう)ノ(の)商(あき)
人(ひと)良暉(りやうき)カ(が)、年来(ねんらい)鎮西(ちんぜい)ニ(に)有(あり)テ(て)、宋(そう)ニ(に)返(かへ)ルニ(るに)値(あひ)テ(て)、其(そ)ノ(の)船(ふね)ニ(に)
乗(のり)テ(て)行(ゆ)ク(く)、東風(ひがしかぜ)忽(たちまち)ニ(に)迅(とく)シテ(して)船(ふね)飛(と)フ(ぶ)カ(が)如(ごと)ク(く)也(なり)、而(しか)ル(る)間(あいだ)、十
三日ノ申時(さるのとき)ニ(に)、北風(きたかせ)出来(いでき)テ(て)流(なが)レ(れ)行(ゆ)クニ(くに)、次(つぎ)ノ(の)日(ひ)辰時(たつのとき)計(ばかり)ニ(に)
琉球国(りうきうこく)ニ(に)漂(たゞよひ)着(つ)ク(く)、其国(そのくに)ハ(は)海中(かいちう)ニ(に)有(あ)リ(り)人(ひと)ヲ(を)食(くら)フ(ふ)国也(くになり)、
其時(そのとき)ニ(に)風止(かぜやみ)テ(て)趣(おもむ)カム(かん)方(かた)ヲ(を)不知(しら)ラ(ず)、遥(はるか)ニ(に)陸(くが)ノ(の)上(うへ)ヲ(を)見(み)レハ(れば)、
数十(すじふ)ノ(の)人(ひと)鉾(ほこ)ヲ(を)持(もち)テ(て)徘徊(はいかい)ス(す)、欽良暉(きんりやうき)是(これ)ヲ(を)見(み)テ(て)泣悲(なきかなし)
フ(ぶ)、和尚(をしやう)其故(そのゆゑ)ヲ(を)問(と)ヒ(ひ)給(たま)フニ(ふに)、答(こたへ)テ(て)云(いは)ク(く)、此(こ)ノ(の)国(くに)人(ひと)ヲ(を)食(くら)フ(ふ)
所也(ところなり)、悲(かなしい)哉(かな)此(こゝ)ニシテ(にして)命(いのち)ヲ(を)失(うしなひ)テムトスト(てんとすと)、和尚(をしやう)是(これ)ヲ(を)聞(きゝ)テ(て)、
忽(たちまち)ニ(に)心(こころ)至(いた)シテ(して)、不動尊(ふどうそん)ヲ(を)念(ねん)ジ(じ)給(たま)フ(ふ)、《割書:三善清行が撰みし|伝にも、同じ趣きなり、》とい
へり、これや琉球(りうきう)の我邦(わがくに)の書籍(しよじやく)に見えたる始(はじ)めなら
ん、さてこゝに琉球は人(ひと)を食(くら)ふの国(くに)といへるも、もとより
伝説(でんせつ)【左注「いひつたへ」】の誤(あやま)りなることは、弁(べん)【左注「ことわる」】をまたずといへども、またそ
の据(よる)ところなにあらず、隋書(ずゐしよ)に国人好相攻撃(こくじんこのんであひこうげきす)【左注「たゝかふ」】云々、
取闘死者共聚而食之(たゝかひしするものをとりてともにあつまりてこれをくらふ)とあるをおもへば、唐土(もろこし)にて
ふるくより琉球(りうきう)は人(ひと)を食(くら)ふよしいひ伝(つた)へしを、我(わが)
邦(くに)にもかたりつたへしなるべし、これによりてもそ
の国(くに)我邦(わがくに)には近(ちか)けれども、絶(た)えて往来(わうらい)【左注「ゆきゝ」】せざるをし
現代語訳
語の智証大師の伝に、仁寿三年八月九日、宋の商人良暉が、年来鎮西にあって、宋に返るに際して、その船に乗って行く。東風が忽ちに速くなって船が飛ぶようであった。そのうち、十三日の申の刻に、北風が出てきて流されていくと、次の日の辰の刻頃に琉球国に漂着した。その国は海中にあって人を食う国である。その時に風が止んで行くべき方向がわからず、遥かに陸の上を見ると、数十人の人が鉾を持って徘徊している。欽良暉はこれを見て泣き悲しんだ。和尚がその理由を問われると、答えて言うには、「この国は人を食う所です。悲しいことに、ここで命を失うことになりそうです」と。和尚はこれを聞いて、忽ちに心を込めて、不動尊を念じられた。《三善清行が撰んだ伝にも、同じ趣旨である》という。
これが琉球が我が国の書籍に見える始めであろうか。さてここで琉球は人を食う国だと言っているのも、もとより伝説の誤りであることは、説明するまでもないが、またその根拠が何もないわけではない。隋書に「国人好相攻撃」云々、「取闘死者共聚而食之(戦い死んだ者を取って共に集まってこれを食らう)」とあるのを思えば、中国で古くより琉球は人を食うと言い伝えられていたのを、我が国にも語り伝えたのであろう。これによってもその国は我が国には近いけれども、絶えて往来しないことを知
英語訳
In the biography of Chishō Daishi in the Konjaku Monogatari, on the ninth day of the eighth month of Jinshu 3 (853), a Song merchant named Ryōki, who had been in Chinzei (Kyushu) for years, was returning to Song and boarded a ship. The east wind suddenly became swift and the ship flew as if airborne. Meanwhile, on the 13th at the hour of the monkey (3-5 PM), a north wind arose and they were swept away. The next day around the hour of the dragon (7-9 AM), they drifted ashore at Ryukyu Kingdom. That country is located in the sea and is a nation that eats people. At that time the wind stopped and they did not know which direction to go. Looking far toward the land, they saw dozens of people holding spears and wandering about. Kin Ryōki saw this and wept sorrowfully. When the priest asked him the reason, he answered: "This country is a place that eats people. Alas, I am about to lose my life here." Upon hearing this, the priest immediately concentrated his mind and invoked Fudō-son. 《The biography compiled by Miyoshi no Kiyoyuki also has the same content.》
This may be the first appearance of Ryukyu in our country's literature. Now, the statement here that Ryukyu is a country that eats people is naturally an error in legend, which goes without explanation, but it is not without some basis. Considering that the Book of Sui states "The people of the country like to attack each other" and so forth, and "They take those who die in battle, gather together and eat them," it seems that the tradition that Ryukyu people were cannibals, which had been told in China from ancient times, was also transmitted and told in our country. From this we can also understand that although that country is close to our country, there was absolutely no communication...