琉球・沖縄の世界を翻刻する

コレクション: ハワイ大学所蔵 阪巻・宝玲文庫 vol. 1

琉球入貢紀畧 - 翻刻

琉球入貢紀畧 - ページ 19

ページ: 19

翻刻

るべし、   蛇海(じゃかい) 鬼島(おにがしま) 唐僧(たうそう)鑑真和尚(がんじんをしやう)の我邦(わがくに)に来(きた)られしは、唐(たう)の天宝(てんはう)十 二年なり、それより先(さき)ひとたび出帆(しゆつはん)して、難風(なんふう)に 逢(あ)ひて渡海(とかい)なりがたかりし時(とき)のことなるが、天宝(てんはう)七 載(さい)十月十六日、蛇海(じやかい)を過(す)ぐ、その蛇(じゃ)長(なが)きものは一丈(いちちやう) 余(よ)、小(せう)なる者(もの)は三尺(さんじやく)余(よ)、色(いろ)みな斑(まだら)にして、海上(かいしやう)に満泛(みちうか) ぶといふことあり、《割書:鑑真東征伝、また宋の高僧伝|に見えたることも、同じおもむきなり》元享釈(げんかうしやく) 書(しよ)には、この鑑真(がんじん)のことを記(しる)して、日南(じつなん)に漂(たゞよ)ひ竜宮(りうぐう)に 赴(おもむ)くといへり、これは何(なに)によりて記(しる)せしにか、日南(じつなん)のこと 竜宮(りうぐう)のこと、上(かみ)の二書(にしよ)には見えず琉球神道記(りうきうしんたうき)に、毒蛇(どくじや) を恐(おそ)るゝよし記(しる)したれば、この蛇海(じやかい)といふは、琉球の ことにもやあらん、《割書:琉球|状》また鎮西八郎為朝(ちんぜいはちらうためとも)、伊豆(いづ)の大(おほ) 島(しま)に流(なが)されしが、永万(えいまん)元年三月、白鷺(しろさぎ)の沖(おき)の方(かた) へ飛(とび)行(ゆ)くを見て、定(さだめ)て島(しま)ぞあらんとて、舟(ふね)に乗り て馳(は)せ行(ゆ)くに、ある島(しま)につきて廻(めぐ)り見たまふに、田(た) もなし、畠(はたけ)もなし、汝等(なんぢら)何(なに)を食事(しよくじ)【左注「くひもの」】とすると問(と)へば、 魚鳥(うをとり)とこたふ、その鳥(とり)は鵯(ひよどり)ほどなり、為朝(ためとも)これを見(み)

現代語訳

るべし。 蛇海(じゃかい) 鬼島(おにがしま) 唐の僧である鑑真和尚が我が国に来られたのは、唐の天宝十二年のことである。それより以前に一度出帆して、暴風に遭って渡海が困難だった時のことであるが、天宝七載十月十六日、蛇海を通過した。その蛇で長いものは一丈余り、小さいものは三尺余り、色はみな斑模様で、海上に満ち溢れて浮かんでいるということがあった。《鑑真東征伝、また宋の高僧伝に見えることも、同じ内容である》元享釈書には、この鑑真のことを記して、日南に漂流し竜宮に赴いたと言っている。これは何に基づいて記したのであろうか。日南のこと、竜宮のことは、上記の二書には見えない。琉球神道記に、毒蛇を恐れるという趣旨を記しているので、この蛇海というのは、琉球のことでもあろうか。《琉球状》また鎮西八郎為朝が、伊豆の大島に流されたが、永万元年三月、白鷺が沖の方へ飛んでいくのを見て、きっと島があるだろうと思って、舟に乗って急いで行くと、ある島に着いて周りを見回すと、田もない、畠もない。「お前たちは何を食べ物とするのか」と問うと、「魚と鳥です」と答える。その鳥はヒヨドリほどの大きさである。為朝はこれを見て

英語訳

...should be understood. Snake Sea (Jakai) Demon Island (Onigashima) The Tang monk Ganjin Oshō came to our country in the 12th year of Tianbao of Tang. Prior to this, there was an occasion when he had once set sail but encountered severe winds that made crossing the sea difficult. On the 16th day of the 10th month of Tianbao 7, he passed through the Snake Sea. The snakes there - the long ones were over one jō (about 3 meters), the small ones were over three shaku (about 1 meter), all mottled in color, floating abundantly on the sea surface. 《The Account of Ganjin's Eastern Journey and also the Song Biographies of Eminent Monks record the same content.》 The Genkō Shakusho records about this Ganjin that he drifted to Richinnan and went to the Dragon Palace. Based on what was this recorded? The matters of Richinnan and the Dragon Palace do not appear in the above two texts. Since the Ryukyu Shintō-ki records the fear of poisonous snakes, this "Snake Sea" might perhaps refer to Ryukyu. 《Ryukyu-jō》 Also, Chinzei Hachirō Tametomo was exiled to Izu Ōshima, but in the 3rd month of Eiman 1, seeing white herons flying toward the offing, thinking there must surely be an island, he boarded a boat and hurried forth. Arriving at a certain island and looking around, there were no rice fields, no dry fields. When he asked "What do you people eat as food?" they answered "Fish and birds." Those birds were about the size of brown-eared bulbuls. Tametomo saw this and...