琉球・沖縄の世界を翻刻する

コレクション: ハワイ大学所蔵 阪巻・宝玲文庫 vol. 1

琉球入貢紀畧 - 翻刻

琉球入貢紀畧 - ページ 21

ページ: 21

翻刻

たまひて、大鏑(おほかぶら)の矢(や)にて木(き)にあるを射落(いおと)し、空(そら)を 翔(かけ)るを射殺(いころ)しなどしたまへば、島(しま)のものども舌(した)を振(ふるひ) ておぢ恐(おそ)る、汝等(なんぢら)も我(われ)に従(したが)はずは、かくの如(ごと)く射殺(いころ)す べしと宣(のたま)へば、みな平伏(ひれふし)て従(したが)ひけり、島(しま)の名(な)を問(とひ)たま へば、鬼(おに)が島(しま)と申(まう)すといへり、《割書:保元|物語》この為朝(ためとも)の渡(わた)りし鬼(おに) が島(しま)といふも、即(すなはち)今(いま)の琉球国(りうきうこく)のことなり、《割書:琉球|事略》いま已(すで) に琉球の東北(ひがしきた)にあたりて、鬼界島(きかいがしま)といふ名(な)のあるも、 そのなごりなりといへり、《割書:南島|志》  舜天王(しゆんてんわう)は為朝(ためとも)の子(こ)なり 為朝(ためとも)、伊豆(いづ)の大島(おほしま)より、流(なが)れに随(したが)ひ国(くに)を求(もと)めて、琉 球国に至(いた)り、大里按司(おほさとあんす)の妹(いもと)に相具(あひぐ)して一子(いつし)を生(う)む、 名(な)を尊敦(そんとん)といふ、後(のち)浦添按司(うらそひのあんす)となる、そのころ 琉球の国王(こくわう)、天孫氏(てんそんし)の廿五世(にじふこせ)の裔孫(えいそん)、権臣利勇(けんしんりゆう)と いふものゝ為(ため)に滅(めつ)【左注「ほろぶ」】せらる、この時(とき)浦添(うらそひ)の按司(あんす)尊敦(そんとん)、 義(ぎ)を唱(とな)へ兵(へい)【左注「いくさ」】を起(おこ)して利勇(りゆう)を誅(ちゆう)【左注「ころす」】す、これにより て国人(くにびと)推(お)し尊(たふと)みて尊敦(そんとん)を君(きみ)とす、これ即(すなはち) 舜天王(しゆんてんわう)なり、舜天(しゆんてん)より義本(ぎほん)に至(いた)りて、三伝(さんでん)【左注「さんだい」】共(とも)に七 十三年にして、天孫氏(てんそんし)の裔(えい)、英祖(えいそ)に位(くらゐ)をゆづれりと

現代語訳

たまって、大鏑の矢で木にいるものを射落とし、空を飛んでいるものを射殺しなどしたので、島の人々は舌を震わせて恐れおののいた。「お前たちも私に従わなければ、このように射殺すぞ」と言ったので、皆ひれ伏して従った。島の名を尋ねたところ、「鬼が島と申します」と答えた。《割書:保元物語》この為朝が渡った鬼が島というのも、すなわち今の琉球国のことである。《割書:琉球事略》今でも琉球の東北にあたって、鬼界島という名があるのも、その名残りであるという。《割書:南島志》 舜天王は為朝の子である 為朝は、伊豆大島より、海流に従って国を求めて、琉球国に至り、大里按司の妹と結ばれて一子をもうけた。名を尊敦という。後に浦添按司となる。そのころ琉球の国王である天孫氏の二十五世の裔孫が、権臣利勇というものによって滅ぼされた。この時浦添按司尊敦は、正義を唱えて兵を起こして利勇を誅殺した。これによって国人が推し尊んで尊敦を君主とした。これがすなわち舜天王である。舜天から義本に至って、三代合わせて七十三年で、天孫氏の裔である英祖に位を譲ったという。

英語訳

With these arrows, he shot down birds perched in trees with his large whistling arrows, and killed those flying in the sky. The islanders trembled with fear and terror. When he declared, "If you do not obey me, I will shoot and kill you in the same manner," they all prostrated themselves and submitted to him. When he asked the name of the island, they replied, "It is called Onigashima (Demon Island)." 《Marginal note: Hōgen Monogatari》This Onigashima (Demon Island) to which Tametomo sailed is precisely the present-day Ryukyu Kingdom. 《Marginal note: Ryukyu Jiryaku》Even now, to the northeast of Ryukyu, there remains a place called Kikaigashima, which is said to be a remnant of this name. 《Marginal note: Nantō-shi》 King Shunten was the son of Tametomo Tametomo, following the ocean currents from Izu Ōshima in search of a country, arrived in the Ryukyu Kingdom and united with the sister of the Ōsato Aji, bearing one son. His name was Sonton. He later became the Urasoe Aji. At that time, the king of Ryukyu, a descendant of the 25th generation of the Tenson clan, was destroyed by a powerful retainer named Riyū. At this time, Urasoe Aji Sonton raised the banner of righteousness, gathered troops, and executed Riyū. As a result, the people of the country revered and honored Sonton, making him their ruler. This was King Shunten. From Shunten to Gimoto, three generations ruled for a total of seventy-three years before yielding the throne to Eisō, a descendant of the Tenson clan.