伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(九・上) - 翻刻

藩翰譜(九・上) - ページ 7

ページ: 7

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【右丁】 大小の戦七十余度北条一度も利なくして徳川殿に中 なをりし相模の国に引返さる真田は軍半より又北条に そむき徳川殿にしたかひ本領を安堵し《振り仮名:其|て|◦》上野国沼田の 城を始とし城八ケ所攻取て《割書:此年十二月より明年に|至てせめとる所なり》嫡男源二郎 信幸に沼田の城をそ守らせける《割書:すなはち|伊豆守也》同き十二月徳川殿 北畠をたすけて伊勢と尾張の際にて秀吉と戦たまひ 敵の勢十万余騎纔なる御勢にかけまけ《割書:徳川殿の御勢|八千人と申也》 是も一度の利なくして秀吉終に北畠と中直りす 此時北条約に背き徳川殿に加勢参らせす明れは 十三年の春北条徳川殿に使たて抑むかし当家の 【左丁】 よしみをむすひし時武田か領せし国々をわかちて甲斐 信濃は徳川殿上野は氏直領せんと約し■ぬ夫に信濃 の真田か上野にみたれ入て沼田庄取て押領する事 甚奇怪といひつへしすへからく早く其狼藉をとゝ めて彼沼田の庄をとつて氏直に付らるへししからは又 氏直もむかしの約を守りて此後秀吉と戦ん時八州の 軍勢を催し御勢を助け参らすへきにて候とそ宣ひける 徳川殿此由を聞召さらは真田沼田か城を去て北条に付 あたふへしと下知し給ふ昌幸承り此沼田の城と申は 故主武田殿も給らす又徳川殿よりも 給らす昌幸か