翻刻
【右丁】
《割書:世につたふ夏目か記にしるせる所を見るに病ひしてみつから辞世|のことはをのこせしなれは世の説またあやまりつたへし也この余》
《割書:謙信の行状は 甲陽軍艦等にもあらまし|見ゆるなりけれは大略をしるすのみ》去ぬる元亀元年の
春北条左京大夫氏康七男三郎を人質とし越後
国に送る謙信我子にすへしとて天正元年正月十九日
我名ゆつりて上杉三郎景虎と名のらせ わか外甥
景勝か妹にあはせけり謙信卒する時 領せし国々
を二ッにわかちて半は景虎にゆつりて半は外甥の
長尾喜平次景勝にゆつる 謙信卒して 百日をたに
経すして景虎景勝たかひに国をあらそふて軍
起り《割書:四月廿日|の事也》景虎うちまけて春日山の城にさる
【左丁】
憲政の御館喜駄川へ落ゆき景虎か方人せし
家子郎等こゝかしこの城々にたてこもりて
戦やむ事なく天正七年正月晦日景虎かたのみ
きつたる侍大将北条丹後守うたれしかは景虎御館
にもたまりかね同き三月鮫か尾の城におちゆきて
こゝをもおなしく攻おとされ景虎はらきつて死し
憲政も終に自害してうせぬ抑此景勝か父越後守
政景は輝虎か姉聟にて同し流の長尾也しかるに
政景輝虎うしなはんとする事 両度におよひて
輝虎これを誅せん事いとやすしさりなから彼家ほろ