翻刻
【右丁】
ほさんもあはれ也かつ国のみたれともなりぬへしはか
らふへきやうこそあれとて戸次といふ侍におほせて
《割書:戸次団右衛門|といひしもの也》彼か領せし野尻の城のほとりなる湖にて
政景あやまちて水におほれて死せしやうにこし
らへて其よつきをたゝす其子喜平次景勝十一才にて
父におくるいとけなき心にも父か不忠の罪を恥いかにも
して輝虎の恩にむくひ此恥すゝかはやと神仏に
祈請して十三才より輝虎にちかくつかへ十四才にて
深沢九鬼といふ大剛の兵共輝虎につみかうふりしを
二人なから同し枕にきつてけり輝虎大に感して父政景
【左丁】
か領せし植田三庄を始てのこる所なくかへしあたふ
十五歳にて加賀能登の軍に高名し廿四歳の時
輝虎卒し景虎と戦また三年かうちにうちほろほす
こゝに織田平の信長年ころ輝虎の威におそれつねに
家人の礼を執て物献る事さらにむなしき日なかりき
輝虎死し国みたれしときゝしよりも上杉か国々
うちとつて領せよやとて加賀の国をは佐久間
玄蕃允能登をは前田又左衛門尉 越中をは佐々内蔵助
にわかちたふ景勝をりふし柴田因幡守かそむきて
越後の国新発田の城にこもりて国中しつかならさる