翻刻
【右丁】
をしつめんとてかれらと戦ふにいとまあらす天正十年
の春信長甲斐の武田を滅して上野をは滝川左近
将監信濃をは森武蔵守にあたふ諸方の敵■【諜ヵ】し
合て越中信濃上野より 攻入らんとす景勝まつ越
中に向ひ魚津の城におしよせたる 織田か軍勢打
やふり取てかへして信濃国にむかふ景勝信濃に
引かへせは柴田佐々又魚津におしよせて終に城を
そおとしける此年六月信長明智に討れ滝川森上
方へ引かへす景勝信濃をうちしたかへ越後の国に
帰て国中の乱をしつめ又佐渡国をうつ同き十二年
【左丁】
羽柴筑前守秀吉越後国柏崎妙楽寺の僧に
《割書:日蓮宗|の僧也》木村弥一右衛門尉副使として音信を通しかさ
ねてまた木村を使としてなかく両家のよしみむすふ
へきよしの起請文かきて贈らる又越中の佐々か秀吉
か旨にしたかはす秀吉これをうたんかためやかて彼国
にむかはんとす成政いかに申とも 景勝たすけたま
はすんは秀吉かさいはい何事かこれにすくへきとそ
申されける景勝木村にむかつて去し年景勝成政か
ために魚津の城をおと《振り仮名:した|さ|◦◦》る当時は国中の乱をしつめん
とていまたかれと戦ふに及はす又彼国は我か累代の所